提言/報告書

[報告書目次]

アジア地域の安全保障と原子力平和利用

進展する中国の東シナ海石油開発と海洋調査

平松 茂雄  杏林大学教授

1. 平湖ガス油田の完成

中国が東シナ海の日中中間線(後述)近くの平湖ガス油田に、海底石油採掘施設(別掲写真)を完成させた。平湖ガス油田は上海の東南方約400キロの東シナ海大陸棚に位置する。中国は1970年代に同大陸棚の石油探査を実施し、1980年代に入ると日中中間線に沿った中国側海域の二十数ヵ所で試掘を行なってきた。そして1980年代末までに中間線の真ん中に位置する大陸棚、なかでも平湖ガス油田が最も有望となった。天然ガス主体の中型石油天然ガス田で、総面積240平方キロメートル、確認されている軽質原油とコンデンセート油の埋蔵量は826万トン、天然ガスの埋蔵量は 146億5,000立方メートルである。

1992年に上海石油天然ガス公司が設立され、1994年から具体的な準備が開始され、同年9月海上工事の基本設計が完成した。1996年11月上海で着工式が挙行され、石油掘削船・南海6号が掘削を開始した。2本のガス井と4本の原油井、計6本が掘削され、うち4本が11月末までに稼働条件を整えた。

他方平湖ガス油田に設置された石油採掘施設は、ガイドパイプ受け台と海底に固定する12本の杭(総量8,000トン)、その上に据え付けられる四層の採掘・採油プラットフォーム(総量4,000トン)、90人収容の生活プラットフォーム(総量1,100トン)などから構成される。高さ120メートル。海底石油採掘・採油プラットフォームとして普通の規模である。設計生産能力は原油年産80万トンと天然ガス年産5億3,000万立方メートルである。上海石油天然ガス総公司が1995年設計に着手し、1996年に国際入札を実施、そのうち上海の江南造船所が居住施設、他の主要施設を韓国の現代重工業が落札した。現代重工業は1997年3月から蔚山の施設で製造を開始し、いずれも1998年3月までに陸上での組み立て・調整作業を終えた。4月11日からガイドパイプ受け台と12本の杭が海上輸送されて現場の海底に固定され、ついで採掘・採油プラットフォームが17日に蔚山を出て23日に現地に到着。据え付け工事は4月22日から開始され、28日に完了した。このような巨大な施設の組み立てがわずか一週間で行なわれた。大型バージ4隻、バージ・タグ4隻、物資供給船2隻、9000トンの大型浮きクレーンが集合し、18ヵ国、400人に近い労建設者が海上で作業したと報じられている。

上海に輸送する石油と天然ガスの2本のパイプを敷設する工事は、1997年10月30日上海浦東地区で、翌1998年4月15日の完成を目指して着工された。1本は石油用で306キロメートル、舟山諸島 山島に建設される原油給油所に送られる。ここには2万トン級タンカーが停泊できる原油中継埠頭、2,000トン級の工作船埠頭、5万立方メートルの原油貯蔵タンクなどの施設が建設された。もう1本は天然ガス用で、375キロメートル。山原油供給所を経て、上海南匯天然ガス処理場に送られる。同年6月30日までに工事は完了し、試運転が行なわれた。11月11日から14日まで検査が実施され、すべての項目に関して合格と認定された。ほとんど計画通りに進んでいるようである。平湖油田採掘施設の建設は中国の海上土木工事能力が極めて高いことを示している。工事に要する経費は総額50億元、約6億ドル、アジア開発銀行から1億3,000万ドル、日本輸出入銀行から1億2,000万ドル、欧州投資銀行から6,900万ドルの借款によってまかなわれる、と公表されている。

今回開発される平湖ガス油田第1期工事面積は約20平方キロメートル、天然ガス108億立方メートル、コンデンセート油177万トン、軽質原油1,078万トンが埋蔵されているとみられており、毎日140万立方メートルの天然ガスが少なくとも今後15年間上海浦東新区に供給される。浦東新区には民家や工場へのガス供給パイプが敷設された。1998年12月28日には、11月18日に採掘された原油が27日上海に送られたと報道された。

平湖ガス油田掘削プラットホーム

平湖ガス油田掘削プラットホーム

平湖ガス油田掘削プラットホーム 1998年4月完成

石油試掘リグ・勘探3号

石油試掘リグ・勘探3号 1992年10月平湖ガス油田

2. 日本側海域への強い関心

東シナ海の海底は、中国大陸から緩やかに傾斜して、わが国の西南諸島の西約100キロメートルの地点で深く窪んでいる。この窪みは沖縄舟盆ないし沖縄トラフと呼ばれ、西南諸島とほぼ平行して走っている。長さ約1,000キロメートル、深さ1,000~2,000キロメートルである。中国政府は中国大陸から沖縄トラフまでを一つの大陸棚、すなわち中国大陸が自然に張り出して形成されたとみて、東シナ海大陸棚全域に対する主権的権利を主張し、同大陸棚に位置しない日本には東シナ海大陸棚全域に対する主権的権利はないと主張する。これに対して日本政府は、東シナ海大陸棚は中国大陸・朝鮮半島から延び、わが国の西南諸島の外洋に向かい、同諸島の外の太平洋(南西海溝)に向かって終わっているとの認識に立ち、それ故東シナ海大陸棚の画定は向かい合う日本、中国、韓国の中間で等分するという中間線の原則に立っている。これが日中中間線である。

いずれにしても石油開発の前提は、大陸棚の境界画定である。そして中間線の原則も大陸棚自然延長の原則も、国際法上有効な考え方であるから、東シナ海大陸棚の境界画定は政治交渉で解決するほかない。しかしこのように中国側が積極的に開発を進め、中間線のすぐ向こう側の海域で開発が進んでいるのであるから、日本側が早急に線引きしないと、中国が中間線を越えて、日本側海域に入ってくるのは時間の問題である。

現実に1995年わが国のある石油企業に、これまで東シナ海の石油の試掘を行なってきた国務院地質鉱産局上海地質調査局から、日中中間線の日本側大陸棚の開発に関する共同調査を打診してきた。この企業は、(1)中間線の日本側大陸棚に対してわが国は主権的権利を有している。(2)この地域については、わが国の四つの企業がすでに石油開発鉱区を政府に出願し先願権をえているので、共同研究に応じることはできない、と返答したとのことである。平湖および周辺大陸棚の試掘が終了したので、次の試掘地点を求めての打診と考えられた。

東シナ海大陸棚で石油が最も豊富に埋蔵されているとみられている地域は、中間線の日本側である。平湖周辺海域での石油開発が有望となれば、中国の関心が日本側の大陸棚に向くのは当然である。そして1995年5月のゴールデン・ウィークを挟んで、1ヵ月以上にわたって、中国の海洋調査船・向陽紅9号(4,500トン)が、わが国の奄美大島から尖閣諸島にかけての海域で、沖縄トラフをすっぽり包む形で資源探査を目的とするとみられる海底調査を実施した。ついで同年12月初頭、国務院地質鉱産局上海地質調査局に所属し、これまで東シナ海の石油の試掘を行なってきた石油試掘リグ勘探3号が、わが国海上保安庁の作業中止命令を無視して、日本側の海域に少し入った地点(別掲地図の×地点)で試掘を開始し、翌年2月中旬試掘に成功して引き上げた。商業生産が可能かどうかはともかくとして、石油の自噴が確認されたのである。

この地点は平湖油田の南方約百数十キロメートルに位置しており、平湖から上記×地点を通ってさらに南方に伸びる地質構造には石油が埋蔵されているとわが国のある専門家は推定している。それ故中国の海底石油開発は今後わが国の宮古島の方向に向かって南下してくると推定される。現実にそれから数か月後の同年年4月下旬、上述した試掘に成功した×地点の南方で、中間線の日本側海域で、フランスの海洋調査船・アテランテ号(5,000トン)が、ケーブルを引いて海底地質調査と推定される作業を行なった。この海洋調査は中国とフランスとの共同調査であることを中国自身公表しており、現実に同調査船には3人の中国の海洋科学者が乗っていて、同船が那覇に寄港した際下船して、飛行機で中国に帰ったところからも明瞭である。なおアテランテ号は那覇を出航した後、台湾の基隆に寄港し、台湾の海洋科学者を乗せて、わが国の与那国島をすっぽり包んだ海域で、海底調査を実施した。わが国の主権・利益は完全に無視されているのである。

中国の東シナ海石油開発と大陸棚日中中間線

このようにみてくると、中国の海底石油開発は平湖およびその周辺の油田の開発の進行とともに、次に1996年2月試掘に成功したわが国海域内の地点(別掲地図の×地点)に、今回平湖ガス油田に据え付けられたものと同じような石油採掘プラットフォームが建設され、海底パイプラインが延長されると考えられる。今回の海上作業が極めて短期間に遂行されたことからみて、わが国の警告を無視して、同様に短時間で日本側海域で採掘施設の建設(組み立て)が実施される可能性があり、このままではわが国の経済的権益が済し崩しに侵される危険がある。

3. 日本側海域での活発な調査活動

1996年7月20日、日本政府は国連海洋法条約を批准し(7月20日発効)、それに基づいてようやく東シナ海大陸棚に中間線を引いたが、その後中国の海洋調査船は、わが国の奄美大島から尖閣諸島にかけての日本側海域で、さらには沖縄本島と宮古島の間を通って太平洋に至る海域で、わが国の海上保安庁の巡視船の警告を無視して、海洋調査を繰り返している。

1995年以後の中国の東シナ海の日本周辺海域における海洋調査は、1996年は15件、1997年4件、1998年14件であり、件数では1997年が少ないが、この3年間に共通している点は、調査海域が東シナ海のわが国周辺海域の全体に及んでいることである。それは次の3つの海域であり、それぞれの海域によって海洋調査活動に重要な差異がある。

第1に、東シナ海の日中中間線のほぼ真ん中の日本側海域で、奄美大島の西方海域に当たる。ここでは地震探査による海底調査が主体で、大陸棚の石油探査が実施され、同時に同海域の海底、海中の調査が行なわれていると推定される。1996年には海監18号(1,000トン、6月9日)、奮闘7号(1,500トン、6月2日~6月15日)、東測226号(1,000トン、10月31日~11月2日)、東測227号(1,000トン、10月31日~11月2日)、1998年には向陽紅9号(4,500トン、5月28日~29)、海監49号(6月22日、6月25~29日、7月29日~8月4日)、奮闘7号(7月31日~8月1日)が、クレーンからワイヤーを海中投入して漂泊したり、短冊型にジクザクの行動をとったりしている。

第2に、東シナ海から沖縄本島と宮古島の間を通って太平洋に至る海域の調査で、円筒形の観測機器などを海中に投入したり、揚収したりする動作を繰り返しているところから、海域の水の温度、成分の分析などにより、船舶とくに潜水艦の航行、あるいは対潜水艦作戦に必要な情報の収集を行なっていると推定される。1996年4月24日から5月9日にかけて、海洋13号(2,000トン)が、4隻の調査船(1,000トン)とともに同海域で調査活動を行なったのが最初で、海洋13号は同年10月13日から22日まで、先島諸島の南沖合の太平洋海域を活動した。海洋13号は翌1997年4月16日~24日、それより東方の太平洋海域から沖縄本島と宮古島の間の海域を北上した後、尖閣諸島周辺海域を航行し、魚釣島および大正島海域でわが国の領海を侵犯した。1998年には、奮闘7号と探宝号(2,600トン)が7月15日から19日まで、それぞれ対応する形で東シナ海から沖縄本島~宮古島海域を通って太平洋までの広範囲な海域を、オレンジ色のブイを付けたワイヤーロープを曳航しながら航行した。また6月9日~11日には、海洋13号は沖縄~宮古海域および先島諸島のはるか南方の太平洋で調査活動を実施した。なお奮闘7号と探宝号には警戒船と推定される船が随伴したことは注目される。

第3に、尖閣諸島周辺海域の調査である。この海域の海底は東シナ海大陸棚で最も石油が有望とみられている地点であり、石油探査ための地震探査が実施されていると推定されるが、他方沖縄~宮古海域と同様に、海域の水の採取を行なっており、将来における対潜水艦作戦のための情報収集と推定される。1996年には海洋4号(3,000トン、1996年9月2日~16日)、海洋13号(10月31日~11月5日)が尖閣諸島海域で活動し、その際海洋4号は大正島南方でわが国の領海を侵犯した。1997年には海洋13号が太平洋海域から沖縄~宮古海域を北上した後、尖閣諸島周辺海域を航行し、魚釣島および大正島海域でわが国の領海を侵犯したことについては先に指摘した。1998年には、奮闘7号が4月28日から5月1日まで尖閣諸島周辺海域で調査活動を行ない、大正島北方海域でわが国領海を侵犯した。また1996年4月下旬~5月上旬沖縄~宮古海域、6月10前後の数日中間線付近、10月31日~11月2日日中間線付近、1998年7月15日~19日沖縄~宮古海域で2隻、7月末から8月にかけての数日間沖縄諸島西方の広範囲の大陸棚海域で2隻が海洋調査を実施しているなど、同時に数隻の調査船が同じ時期にわが国周辺海域で調査活動を行なっていることが何回も起きている。今後こうした海洋調査活動は一層積極的に実施されると考えられる。わが国では東シナ海と聞くと、ともすると尖閣諸島の領有権問題に関心が向けられるが、中国の関心はこの島の領有権ばかりでなく、むしろ東シナ海に広がっている大陸棚にある。そして中国の関心はその大陸棚に埋蔵されている石油資源の開発にあるが、それに留まるものではなく、石油資源の探査・開発を通して東シナ海に対する中国の影響力を行使し、さらには将来沖縄~宮海域を通って太平洋に通じる航路を確保することにある。地図を広げて見ればわかるように、わが国にとって東シナ海は裏庭であるかもしれないが、中国にとっては表玄関である。中国が太平洋に出て行くには、東シナ海から沖縄~宮古海域を通らなければならない。南シナ海からインド洋に出るには、東シナ海から台湾海峡を通らなければならない。小平時代以降の中国は、中国大陸よりも広大な海洋に依拠して生存することを意図している。それとともにシーパワーも成長している。中国の発展にとって東シナ海は重要な位置を占めているのである。東シナ海における中国の活動に無関心であってはならない。

平成10年中国海洋調査船調査海域図

平成10年中国海洋調査船調査海域図

4. わが国に必要な国家戦略

1998年月6月26日、「中華人民共和国専管経済区および大陸棚法」が制定された。1992年2月に制定された「中華人民共和国領海および接続水域法」に続いて、中国大陸周辺海域での資源開発・経済活動などを保護するための法律であり、1996年に批准した「国連海洋法条約」に依拠して制定された。同法は第2条で、「中華人民共和国の大陸棚は、中華人民共和国の領海の外で、本国陸地領土からの自然延長のすべてであり、大陸縁辺外縁の海底区域の海床・底土まで延びている」と規定して、「大陸棚自然延長」の原則を確認している。大陸棚石油開発を支援する法整備が整えられている。また海洋資源・漁業資源の開発・利用、河口港湾施設の建設・管理、海洋汚染の観測・管理などに役立てる目的から、海洋衛星を打ち上げる計画を進めている。

中国は早くから国家戦略として一貫して海洋戦略を推進し、中国周辺の海域に進出してきている。これに対してわが国は、これまで国家の主権に関わる領土問題を厄介な問題として先送りし、問題が起きると、その国との友好関係が重要であるとの理由から領土問題の解決を避けてきた。そればかりか日本政府はこれから行なわれる中国、韓国との政治交渉において、尖閣諸島、竹島について、北方領土にならって、「領土問題と漁業問題を切り離して、漁業交渉だけを進める」という消極的な態度をとっている。海洋法条約と同時に提出された一連の関連法案のなかには、水産資源、海洋汚染などに関する法律はあるが、大陸棚の資源開発に関する法案はない。200カイリ設定に対応する国家としての姿勢が整備されていないところに、有事を考えない日本国家の現実がよく現われている。

東シナ海の日中中間線の日本側の大陸棚には、1960年代末以降わが国の四社の石油開発企業が鉱区を設定し、先願権をえているが、日本政府が許可しないため、初歩的な調査も実施できないまま今日にいたっている。排他的経済水域・大陸棚の問題は、日本の主権的権利を侵す国から国益を守るために、日本政府が主権国家としての権利を行使できるかどうかにある。中国や韓国との関係を悪化させてはならないが、国益は確保しなければならない。

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