提言/報告書

[報告書目次]

アジア地域の安全保障と原子力平和利用

「紛争予防」―地域紛争への新たな取り組み

斎藤 直樹  平成国際大学教授

まえがき

第二次世界大戦の終結に伴い米国とソ連の間で発生した冷戦は緊張の激化と緊張の緩和を繰り返しながら、40年以上も続くことになった。1980年代に入っても米ソ間の対立は続いたが、80年代後半に至り米ソ関係は対立から協力関係へと転じ始めた。そうした協調関係は国連安保理事会における共同歩調にも現れるようになった。特に90年8月2日に発生したイラクによるクウエート侵攻事件を受けて開催された安保理事会の審議で、米ソが協力したことはそうした共同歩調を印象づけることになった。そして91年12月にソ連が解体したことに伴い、冷戦がついに終止符を打つことになった。それまでに米国とソ連の間で進展した協調関係に照らし、冷戦後に米国とロシアといった大国間で大規模な軍事衝突が発生する可能性は実際には考えにくくなった。

反面、冷戦の終結に伴い世界各地で頻発する地域紛争に対しどのように対処すべきかが問題化されだした。その要因の一つは、冷戦の終了に伴い、旧ソ連地域や東欧地域で共産主義・社会主義体制が倒れた結果、多数の民族紛争が続発することになったことに起因する。共産主義・社会主義を基盤とする統治様式が取り除かれた結果として、それまで封じ込められていた諸民族の民族意識が噴出する過程で武力衝突が頻発することになったからである。旧ソ連地域ではチェンチェン紛争、タジキスタン内戦、ナガルノ・カラバフ紛争、アブハジア紛争、南オセチア紛争などをはじめとして多数の紛争が発生することになった。また東欧諸国では、ユーゴスラビアの分解に伴い、スロベニア紛争、クロアチア紛争、ボスニア紛争などが発生することになった。

その他の地域に目を向ければ、冷戦時代に発生していた多数の地域紛争はほとんど収拾されることなく存続していた。サハラ砂漠以南のブラック・アフリカでは、ソマリア、アンゴラ、スーダン、ルワンダ、ブルンジ、チャド、西サハラなど多数の紛争がみられた。アジア・太平洋地域でもカンボジア、スリランカ、インド、インドネシアの東チモール、フィリピンのミンダナオなどで紛争が続いていた。南米でも、ニカラグアやグアテマラなどで紛争がみられた。

旧ソ連や東欧地域で多発している紛争のほとんどが民族間対立に起因するものである一方、アフリカではフツ族とツチ族の間の対立に象徴される部族・氏族間の対立がしばしば深刻な事態を招いている。しかも重要であることは、冷戦後の紛争のほとんどが国家間紛争というよりも国内紛争という形態をとっていることである。いずれにしても、冷戦が終結したことによって、旧ソ連や東欧諸国で多発している紛争に対応を迫られているだけでなく、それまでほとんど放置されていた世界の「辺境」の紛争にようやく目が向くという機運が生まれることになった。

そして紛争解決の担い手として特に期待されだしたのが国連であった。本来、国際平和と安全の維持のために創設された国連が冷戦時代を通じこの分野で主だった活動ができなかったが、冷戦の終結に伴い国連の果たす役割への期待が著しく高まりだした。1992年1月に開催された国連安全保障理事会サミットがブトロス・ブトロス・ガリ国連事務総長に対しそうした紛争にどのように対処すべきかについて報告書をまとめるよう要請したのは、こうした背景に基づく。これ受け、ブトロス・ガリが同年6月に「平和への課題(An Agenda for Peace)」と題する報告書を公表することになった。前事務総長はその中で、紛争に対処するため予防外交(preventive diplomacy)、平和創造(peace-making)、平和維持(peace-keeping)、平和構築(peace-building)という諸概念からなる総合的な枠組みを提起したのである。(*1)

国連に対する期待が著しく高まる中で、世界各地の紛争を収拾すべく続々と平和維持活動が開始されることになった。カンボジアへはUNTAC(カンボジア暫定統治機構)、ソマリアへはUNOSOM-II(第2次国連ソマリア活動)が派遣され、クロアチアやボスニアへはUNPROFOR(国連保護軍)が派遣されることになった。しかし、UNTACなどが期待に添う結果を残した一方、UNOSOM-IIやUNPROFORは紛争当事者からの協力を得ることが出来ず当初の期待に応えることはできなかったばかりか、多数の犠牲者を生む結果になった。しかもこれらの活動は数万人規模の大型の活動であり、莫大な経費を必要としたものの、冷戦時代からの国連の慢性的な財政難が解消されないため、財政的に一層逼迫せざるをえなくなった。こうした要因が相乗する形で、国連の平和維持活動だけでは冷戦後の地域紛争に十分に対処できないことが認識されだした。

上述のように、ソマリア紛争や旧ユーゴスラビア紛争は複雑な原因に根ざす深刻な国内紛争であり、平和維持活動をはじめとする国連の諸活動の対応能力をはるかに越えた問題であったことが指摘される必要があろう。国家間紛争では一国の正規軍が相手国の正規軍と対峙する格好になる反面、国内紛争では正規軍だけでなく一般の国民が武装して戦闘にかり出される場合が多い。その中には、多数の少年兵もみられる。またそうした内戦では交戦者が順守すべき交戦法規なるものも存在しない。さらに紛争が長期にわたり続けば、社会・経済インフラも破壊され、政府機構等も事実上機能していない場合が多い。この結果、国全体が無政府状態に陥ることもまれではない。莫大な数の被災者に対し国際救援機関が救援活動を行おうにも救援物資が紛争団体から略奪され、被災者の元に一向に物資が届かない状況も生まれている。さらに、救援機関の職員もまた生命の危機に瀕することもある。加えて、他民族に対する焼き討ち、暴行、連行、追放、虐殺などしばしば「民族浄化(ethnic cleansing)」として報道される深刻な人道的危機も生じている。こうした状況の下で、莫大な数に上る住民が難民として国外へ流出する事態に及び、元の居住地から遠く離れた場所でのキャンプ生活を強いられている。さらに無数の地雷が埋設され、毎日のように犠牲者を生む悲劇を生みだしている。しかもそうした悲惨な状況はほとんど「リアル・タイム」で茶の間に飛び込んでくる。(*2)

こうした状況は既存の平和維持活動だけでは到底対処できないものであった。そもそも平和維持活動とは、紛争が実際に終結したことを受けて停戦合意が確立し、受入同意が確保されはじめて開始される活動である。しかし上記にみるような紛争には当事者間の停戦合意もなければ、また派遣に伴う受入同意も確実なものではなかった場合が多い。そうした状況の下で国連の要員も拘禁されたり、攻撃を受けたりする事態へと発展したのである。

加えて、既述の通り紛争が事実上終結した段階で活動を開始する平和維持活動では事態に十分に対処できないのではないかと理解されるようになった。何故ならば、特定の平和維持活動の設置が決まり国連要員が紛争地域に派遣されるまでには、紛争の発生から相当時間が経過しているからである。それまでの間、紛争当事者は互いに相手側に対し多大な人的かつ物的損害を与えているのが現実である。したがって、紛争が発生してから対処するよりも紛争の発生を予防することほうがはるかに望ましい。紛争の発生を予防するというものの考えかたが着目されるようになってきたのも、こうした背景に基づくと言えよう。

ここに、ブトロス・ガリ氏が冷戦後に紛争を予防(ブトロス・ガリ氏自身は予防外交と言及)することの意義を訴えた問題意識もあり、また紛争の予防という考え方が急速に受け入れられることになった理由も考えられる。前事務総長が提起した予防外交という概念は一躍脚光を浴びることになり、その後、国連やOSCE(欧州安全保障機構)、OAU(アフリカ統一機構)、OAS(米州機構)など国連の地域的機関を含めた国際機構・地域機構、各国政府、多くの国際問題研究所、多数のNGOなどでも、紛争への取り組みが活発に議論されることになった。現在もその模索が続いており、紛争予防を巡る議論は依然として混沌としている反面、紛争予防への取り組みは今世界的な課題となっている。

このように紛争予防の持つ意義が重大であるにも関わらず、後述するように、紛争の予防を示す用語として予防外交、予防行動(preventive action)、紛争予防(conflict prevention)など幾つかの用語が使われ、それらが実際になにを意味するかについては依然として曖昧であり、肝心の紛争予防を巡る概念について相当の混乱が見られるのが実情である。紛争予防を巡る概念の混乱はこの分野の活動の将来に無視できない深刻な影響を与えかねない。そこで、本稿では、紛争予防というものについての概念整理を行いたいと考える。

I. 紛争予防を巡る概念の混乱

冷戦後に紛争予防が急速に脚光を浴びる契機になったのは、上述したとおり、ブトロス・ガリ前国連事務総長が1992年6月に公表した「平和への課題」と題する報告書の中で、予防外交の必要性を提唱したことによる。その後、紛争を予防する表現として予防外交という用語法が頻繁に用いられるようになったものの、予防外交とは具体的に何を意味するかについて必ずしも合意は形成されていない。そうした現実に直面し、冷戦後の地域紛争を予防するための共通の用語法の確立に迫られていると言えよう。

「平和への課題」

ブトロス・ガリ氏は「平和への課題」の中で、国連は今後発生した紛争を終結に導くことから、紛争の発生を未然に予防することに重点を移行する必要があると主張した。ブトロス・ガリ氏の定義によれば、「予防外交とは、当事者間の争いの発生や現に存在する争いへの紛争への発展を防ぐとともに、紛争が発生した場合の拡大を防止するための行動である。(Preventive diplomacy is action to prevent disputes from arising between parties, to prevent existing disputes from escalating into conflicts and to limit the spread of the latter when they occur.) (*3)」そしてブトロス・ガリは予防外交を実施する主体として、国連事務総長、国連高官、専門機関や各種の計画、安保理事会、総会、地域的機関などを挙げると共に、予防外交の具体的手段として、信頼醸成措置(confidence-building measures)、事実調査(fact-finding mission)、早期警戒(early-warning)、予防展開(preventive deployment)、非武装地帯(demilitarized zones)などを挙げた。

紛争の予防することの重要性を前事務総長が訴えたが、紛争を予防することを訴えたのは別段ガリ氏が最初であったわけではない。紛争を予防しようとする表現自体は国連憲章の中にもみられることである。また後述するように、交渉、仲介、調停、仲裁などをつうじ係争問題を平和的に解決することによって紛争の発生を予防するという考え方は紛争の「平和的解決手段」として憲章第6章の33条から38条の中で詳細に規定されている。

「平和への課題」以降の紛争予防を巡る討議

さてブトロス・ガリは「平和への課題」の中で予防外交だけを別段強調したわけではなかった。前事務総長は予防外交へ取り組む必要性を訴えると共に、関連する諸活動として平和創造活動の強化、平和維持活動の充実、平和構築活動への取り組みなどを訴えたのであった。冷戦後の国連への期待が高まった状況の下で、国連はブトロス・ガリの提唱にあった活動の幾つかを実施に移すことになった。しかし、そうした期待の下で1992年以降旧ユーゴスラビアのクロアチアやボスニアやソマリアにおいて平和維持活動が実施されたが、そうした活動は期待を大きく裏切ることにもなり、同活動への支持が急速に低下することになったことは上述したとおりである。他方、平和維持活動に対する期待が萎んだのに期を併せるかのように、予防外交への期待と支持は急速に高まりだしたと言えよう。それに伴い、予防外交は国連やOSCE、OAU、OASなどの国連の地域的機関、ARF(アセアン地域フォーラム)などの地域協議、各国政府、研究所などで様々な場で取り上げられ、その後頻繁に議論されることになった。

その際、ブトロス・ガリによる予防外交の定義が頻繁に引用され、その定義に基づき討議されることになったものの、それでは具体的に予防外交は何を意味するのかという最も根本的なことが必ずしも明らかではなかった。したがって、予防外交が様々な場で討議されることになったものの、そうした討議で中心的議題となったのは、予防外交とは何かということであった。紛争が一度発生した後でそれに対処することよりも、紛争の発生を未然に予防することが望ましいことには共通の理解と言えるものがあったとしても、それでは誰がどのような手段をつうじ、どこでどのようにして実施するのが予防外交なのかという根本的なところで、見解が大きく分かれるところであったと言えよう。

やや大ざっぱな言い方をすれば、予防外交について狭く捉える見方と広く捉える見方があったと言えよう。予防外交を狭くとらえる見方では、予防外交とは前述の国連憲章第6章に盛り込まれた一連の外交手段をつうじ紛争の発生を未然に予防することであり、その実施主体としては、主に各国政府や国際機構ということなる。

他方、予防外交を広く捉える見方によれば、紛争の発生を未然に予防するだけでなく、発生した紛争の拡大を予防し、その終結後には再発をも予防することも予防外交の目的であり、その実施手段については、これらの目的を達成する諸活動全般が含まれると考えられるようになった。したがって、憲章第6章の「平和的解決手段」にはじまり、停戦監視などの平和維持活動、さらには紛争後の国家の復興・再建のための支援などの活動も予防外交の実施手段として含まれると考えられる。さらに侵略行為を未然に予防するためには、軍事力に基づく抑止が重要であるとする考え方も予防外交の手段と考えられることもあった。他方、実施主体についても、外交の主な担い手である各国政府や国際機構に限られたものではなく、NGO、マス・メディア、さらには個人など民間の主体までもその中に含まれると考えられるようになった。

こうした傾向は実は予防外交を提起したブトロス・ガリ自身の報告書にも見られることになった。1995年1月に公表された「平和への課題―追補」では、予防外交と平和創造活動が一緒に論じられている。(*4)このように、ブトロス・ガリが予防外交を提唱して以降の一般的な傾向として、予防外交をより広く捉える捉え方が一般的な傾向となってきたと言えよう。

ところが、こうした傾向は予防外交を巡る概念の混乱ともいうべき事態を生むことにもなったと言えよう。紛争の発生から終結後までの各段階における予防、多数にわたる実施手段、複数の実施主体といったものが予防外交を構成するものと理解されることになれば、その結果としてありとあらゆる議論が予防外交の下で行われるといった傾向も生まれ、この結果としてほとんど接点のない議論に陥りかねないからである。

予防外交について広い捉え方が再検討される余地を生むことになったのは、こうしたいきさつに基づくと言えよう。ブトロス・ガリが予防外交を提唱して六年も経過する内に、その実施主体に国際機構や各国政府だけでなくNGO、マス・メディア、各人までも含まれるとなれば、国際機構や政府以外の主体が行う活動がはたして予防外交という用語で表現することがはたして妥当であるかとの疑問も出てきたし、また「平和的解決手段」だけでなく多数の手段が予防外交という名称の下に入ることが妥当かどうか、疑問が投げかけられたからである。

国連による再定義―「予防外交」から「予防行動」へ

1997年1月に国連事務総長に就任したコフィ・アナン氏の下が紛争予防についての用語法が抜本的に再検討されたのは、こうした時期であった。再検討をつうじ国連では紛争予防を表現する用語法として「予防外交」にかわり「予防行動(preventive action)」という新たな概念が用いられることになった。(*5)これ以降、国連では紛争予防に関連する諸活動は「予防行動」の下に再編成されている。その予防行動には、予防外交、予防展開、予防軍縮(preventive disarmament)、予防的人道行動(preventive humanitarian action)、予防的平和建築(preventive peace-building) などが含まれることになった。また紛争の発生以前に国連要員を係争地域へ展開することについて、従来どおり予防展開、軍縮については予防軍縮、人道的活動については予防的人道活動、さらに紛争終結後の復興・復旧については予防的平和建築としてそれぞれ理解されている。そして、これらの諸活動は当事者が同意してはじめて実施されるという認識に立ち、当事者からの同意を必要としない平和強制行動(peace enforcement operation)は予防行動の範疇から除外されることになった。世界的に紛争予防を巡る概念が混乱する中で、国連はこのような新たな解釈に従い、紛争予防に取り組んでいる。その意味で、「予防行動」が理解しやすい表現であるが、本稿では紛争を予防する諸活動の総称として「紛争予防(conflict prevention)」という用語法の下で議論を進めていくことにしたい。

以下において、「紛争予防」の目的、実施手段、実施主体などを明らかにすることによって紛争予防についての基本的な概念の整理を行いたい。

II. 紛争予防についての概念整理

1. 紛争の四段階と紛争予防の目的

紛争の発生が差し迫った場合に、その発生をどのように予防するかが紛争予防の中心的な課題であるが、それだけでは十分であるとは言えないであろう。紛争の発生を予防することが望ましいが、もし紛争の発生の予防に失敗して紛争が実際に発生することがあれば、発生した紛争にどのように対処すべきかという問題に直面せざるをえないからである。当事者間に紛争が発生することがあれば、いち早く戦闘行為を停止させ、できるだけ早期に紛争の終結を図る努力が必要となろう。また紛争が終結しても、当事者間で武力衝突の再発が懸念されることから、その再発予防に迫られよう。すなわち、紛争の発生以前から終結後までの段階すべてにわたり、対応が講じられる必要があろう。こうした認識に基づき、紛争の進展過程を以下の四段階に分類して考えてみる。(*6)

  • 第一段階:平時の段階
  • 第一段階は、紛争の発生が差し迫っていない平時の段階であり、平和の維持が目的となる。
  • 第二段階:紛争の発生が差し迫った段階
  • 第二段階は、紛争の発生が差し迫っている危機の段階であり、紛争の発生を予防することが目的となる。
  • 第三段階:紛争発生後の段階
  • 第三段階は、紛争がすでに発生し、その拡大が懸念される段階であり、その拡大を予防することが目的となる。
  • 第四段階:紛争終結後の段階
  • 第四段階は、紛争はすでに終結したが、その再発が懸念される段階であり、再発の予防が目的となる。

2. 紛争予防の実施手段(*7)

紛争予防は以上の四段階で実施に移されることになる。第一段階の平時の段階では平和を維持する措置として、以下の措置が考えられよう。これらの措置は以下の軍事的措置と非軍事的措置に大別される。

  • <平和を持続させる軍事的措置>
  • 1.1 国連及び地域機関の平和維持機能の強化
  • 1.2 個別及び集団的自衛能力の維持
  • 1.3 非攻撃的防衛政策の採用
  • 1.4 軍備管理条約の締結と履行
  • 1.5 世界的・地域的な軍備管理体制の構築
  • 1.6 信頼醸成措置の整備
  • <平和を持続させる非軍事的措置>
  • 1.7 国連及び地域機関による紛争予防の強化
  • 1.8 その他の地域機構による紛争予防の強化
  • 1.9 世界的・地域的協議による紛争予防の強化
  • 1.10 NGOネットワークによる紛争予防の強化
  • 1.11 早期警報装置の整備
  • 1.12 相互信頼関係の増進
  • 1.13 開発援助の実施
  • 1.14 災害救援の実施
  • 1.15 意識の育成

紛争の発生が差し迫った第二段階では、発生を予防する措置として以下の措置が講じられよう。第二段階の措置も軍事的措置と非軍事的措置に大別される。

  • <差し迫った紛争の発生を予防する軍事的措置>
  • 2.1 信頼醸成措置の実施
  • 2.2 軍事封鎖の実施
  • 2.3 予防展開の実施ならびに非武装地帯の設置
  • 2.4 世界的・地域的機構による強制措置の警告
  • <差し迫った紛争の発生を予防する非軍事的措置>
  • 2.5 当事者間の交渉
  • 2.6 早期警報の発令
  • 2.7 情報共有の体制の強化
  • 2.8 事実調査団の派遣
  • 2.9 仲介・調停による紛争予防
  • 2.10 仲裁裁判・司法的解決による紛争予防
  • 2.11 国際世論の喚起
  • 2.12 国際会議の開催
  • 2.13 経済・技術支援の約束
  • 2.14 外交制裁の実施
  • 2.15 経済制裁の実施

紛争が既に発生しその拡大が懸念される第三段階では、以下にみる紛争の拡大を予防する措置が考えられよう。第三段階の措置も軍事的措置と非軍事的措置に大別される。

  • <紛争の早期終結のための軍事的措置>
  • 3.1  軍事封鎖の実施
  • 3.2 「安全地帯」などの設定とその防護
  • 3.3 人道的救援活動の警護
  • 3.4 世界的・地域的機構による強制措置の警告
  • 3.5 世界的・地域的機構による強制措置の実施
  • <紛争の早期終結のための非軍事的措置>
  • 3.6 交渉の継続
  • 3.7 仲介・調停の継続
  • 3.8 国際会議の開催
  • 3.9 外交制裁の継続
  • 3.10 経済制裁の継続
  • 3.11 人道的救援活動の実施
  • 3.12 国際世論の喚起

紛争が終結したがその再発が懸念される第四段階では、以下にみる紛争の再発を予防する措置が講じられよう。第四段階の措置も軍事的措置と非軍事的措置に大別される。

  • <紛争再発防止のための軍事的措置>
  • 4.1 停戦の監視・維持
  • 4.2 元紛争地域の非軍事化
  • 4.3 元戦闘員の武装解除・動員解除の実施
  • 4.4 地雷の除去
  • 4.5 小火器の回収・管理・廃棄
  • <紛争再発防止のための非軍事的措置>
  • 4.6 紛争の再発予防のための国際会議
  • 4.7 相互理解の増進
  • 4.8 人道的救援活動の実施
  • 4.9 難民・避難民の帰還
  • 4.10 元戦闘員の社会復帰支援
  • 4.11 開発援助の実施
  • 4.12 自由選挙の実施、民主化支援
  • 4.13 司法制度確立への支援
  • 4.14 新警察の訓練及び確立
  • 4.15 人権の保障の監視
  • 4.16 評価システムの構築及び情報公開
  • 4.17 国連戦争犯罪特別法廷の開廷

3. 紛争予防の実施主体

上記の目的を実施に移すのが紛争予防の実施主体ということになる。主な実施主体として国連、その地域機関を含めた地域機構、各国政府、NGO、マス・メディア、個人などが考えられよう。ところで、現地で紛争予防に取り組む各主体の間で役割分担が的確に調整できたとき、紛争の予防が一番効果を発揮することができることがしばしば指摘されている。(*8)言葉を換えれば、現地でこれらの各主体が競合しあったり、お互いが反発しあったり、実施主体の一部が本来の紛争予防とはかけ離れた行動をとるようなことがあれば、紛争予防の効果は著しく損ねられかねない。

4. 紛争予防の適用対象

紛争予防の取り上げる対象として国家間紛争だけに限定するべきであろうか、それとも国内紛争もその対象に含まれるべきであろうか。この点について、冷戦後に発生している紛争の大部分、その約8割かたは国内紛争を巡るものであることに照らし、(*9)国内紛争を紛争予防の適用対象から除外することになれば、紛争予防の対象範囲も極端に限られたものになりかねない。したがって、国内紛争の発生をどのように予防するかが特に重要視されているのである。ただし、国内紛争を紛争予防の対象とする際には、一国の領土保全や内政不干渉の原則の尊重といった微妙な問題に当面せざるをえない。その際、一国の領土保全や内政不干渉の原則を尊重する必要があることは当然である。(*10)

5. 紛争予防のための前提条件

それでは、紛争予防が成功するための前提条件にはどのようなものがあるかを考えてみよう。その第一の前提条件として、大規模の武力衝突を回避したいという強い意思を当事者すべてが持つことが求められる。この前提条件が確保されない時には、武力衝突の発生はおうおうにして回避されない場合が多い。第二の前提条件として、当事者すべてが国際社会の提示する予防措置を受け入れる用意があるか、少なくとも前向きであることが求められる。第三として、提示される予防措置が当事者すべてにとって中立・公平であると映り、それゆえに受諾可能であることが求められよう。以上の前提条件を念頭において、幾つかの事例を考えてみよう。

当事者すべてが紛争の発生を回避することに強い意志を持つことによって土壇場で発生をなんとか回避することができた事例として、1962年10月のキューバ危機が指摘されよう。

反対に、明確な侵略の意図の持つ相手に対し紛争予防がなかなか功を奏することが難しいことは、第二次世界大戦の勃発の端緒となった1930年代の後半にアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍が近隣諸国へ行った一連の侵攻事件や90年8月にサダム・フセイン率いるイラク軍が行ったクウエート侵攻事件の事例からも言えることである。

当事者間に紛争の発生を予防しようとする共通の強い意思があるのかないのか曖昧な時にも、紛争の予防は困難とならざるをえない。当事者の意思が曖昧であった事例として、1982年4月にアルゼンチン部隊がイギリスの領有するフォークランド諸島を占拠したことに端を発したフォークランド紛争の事例が指摘できよう。(*11)

このことと関連して、当事者が自己の目的を達成するために相手との間で武力衝突が発生することをなんらいとわない場合がある。例えば、ユーゴスラビア連邦が解体を辿る過程で勃発したスロベニア紛争、クロアチア紛争、ボスニア紛争など一連の民族紛争にみられたことは、ユーゴスラビア連邦から独立を目指している紛争当事者とその独立を阻止しようとする当事者が鋭く対立し、双方が外交手段をつうじ係争問題を解決できない状況の下で、目的達成のためには武力の行使も辞さずという状況に至ったことである。こうした状況の下で、武力衝突の発生を当事者達は何ら躊躇しなかったのである。(*12)

他方、旧ユーゴスラビアの最南部に位置し北からの紛争の飛び火が懸念されたマケドニアではなんとか紛争の発生がくい止められてきた。この事例は、当事者間に紛争の発生を回避しようとする共通の意思がみられただけでなく、第三者が提示した「予防展開」を初めとする予防措置を当事者すべてが受諾すると共に、そうした予防措置が当事者から見ても受諾可能であったことにより、紛争の発生が回避されてきた事例であると考えられよう。以上の観察の中で問題となるのは、当事者が予防措置を受諾する用意のない場合に、どうように対処すべきかという場合である。この場合、外部世界がこれらの条件を作り上げることに迫れざるをえない。つまり、当事者に紛争の発生、紛争の拡大、さらに紛争終結後に再発を回避するための強い意思を持たせると共に、提示する予防外交措置を受け入れるよう働きかけることに迫られる。受入に消極的であったり否定的であった当事者に予防措置の受入を促す手法として、「アメ」と「ムチ」といった手段がこれまでしばしば用いられてきた。「アメ」の代表例として受入を受諾した報酬として技術援助や経済支援などが付与されることが挙げられる。他方、「ムチ」には受入に応じなければ、外交制裁や経済制裁が発動されるとか、軍事的強制行動を威嚇するとの警告が発せられることなどが含まれる。その中に、軍事的強制行動の実施が含まれるかどうかについては見解の分かれるところであろう。

「アメ」の事例としては、1994年の春に北朝鮮の核開発疑惑問題が発生した時に、カーター大統領の行った調停活動を受け、米国政府が北朝鮮に対し軽水炉の提供を申し出ることをつうじ、その核開発を停止することで合意に達したことが指摘できよう。(*13)また「ムチ」の事例としては、ボスニア紛争でボスニアのセルビア人勢力を背後から支援していたと疑われたセルビアとモンテネグロから構成される新ユーゴスラビアに対し実施された経済制裁が挙げられよう。(*14)

6. 紛争予防の評価問題

紛争予防の成功例としてしばしば引用されるのは、旧ユーゴスラビアのマケドニアで国連が行ってきた「予防展開」や1994年に北朝鮮の核疑惑問題を巡り朝鮮半島が緊迫したの際にカーター元大統領が行った調停活動などである。

しかし、紛争予防が成功したかどうか評価を行うことは必ずしも容易な問題ではないと考えられる。一般論として紛争予防が成功したのかそれとも失敗したのかという設問について、失敗したことを証明することの方が容易であると言えよう。何故ならば、当事者間で武力衝突が発生したことで紛争予防が成功しなかったことが確認されるからである。ただし、その場合であっても予防措置が講じられたにも関わらず紛争が発生したのか、それともそうした措置が講じられないために紛争が発生することになったのかという問題が派生する。他方、紛争が発生していない場合であっても、予防措置が講じられた結果として紛争が発生していないのか、それともただ単に発生していないのかどうかという問題もあろう。(*15)

紛争予防に伴う評価の難しさは、1992年3月から95年10月まで続いたボスニア紛争を見れば明らかである。ボスニアは紛争予防が失敗した代表的な事例であると一般的に受けとめられている。確かに、ボスニアでは紛争の発生が予防できなかったし、発生した紛争の拡大を予防することもできなかったと指摘されるかもしれない。

ただし、紛争の発生が予防できなかったとしても、予防措置が講じられたにもかかわらず紛争の発生が予防できなかったのか、それともそうした措置が講じられないために紛争が発生したのかどうか問われる必要があろう。注目すべきことは、ボスニアでは紛争の発生を予防するために具体的な措置が講じられていないことである。当時、国際社会の関心がボスニアの北に位置するクロアチアでのクロアチア政府軍とセルビア人勢力の間の紛争に集中していたために、ボスニアへ関心を向けるいとまもないままに、武力衝突が発生してしまったというのが実際のところである。こうした場合、紛争予防の失敗とは断定できないであろう。

次に、発生した紛争の拡大が予防できたであろうかどうかも問題にされよう。1992年3月に勃発した紛争が終結することになったのは95年10月のことであり、その間激しい戦闘が続くことになった。このことから、紛争の拡大の予防にも失敗したかのような印象を受ける。短期間に同紛争が収束へ向かわなかったことは疑いのない事実であり、短期間で紛争が終結することをもって紛争予防の成功とみなすとすれば、紛争予防は功を奏さなかったと言わざるを得ない。他方、国際社会の関与を通じ紛争は終結へと向かったわけであるが、そうした介入がなかったならばさらに紛争が長引いていただろうと考えれば、紛争の拡大を予防できたと解釈できるかもしれない。

他方、1995年10月に紛争が終結して以降、三者勢力の間で武力衝突は再発していないことに照らし、これまで再発の防止には一応成功していると言えよう。

これらの点に照らし、紛争予防が成功したのかそれとも失敗したのかどうかについては、紛争の各段階に分けて検討される必要があろう。まず、紛争の発生を予防することに成功したのかどうか。その際に、どのような予防措置が講じられたか、それとも講じられなかったのか。講じられた予防措置はどのような効果をあげたのか、それとも挙げることができなかったのか。次に、もし予防に失敗し紛争が発生した場合、その後紛争の拡大を予防することに成功したかどうか。さらに、紛争の終結後に紛争の再発に成功したかどうかなどが検討される必要があろう。

7. 紛争予防の当面する課題

紛争予防が新しい研究分野でもあることから、概念的にも実践の上でも今後克服される課題が多く残されていると言えよう。それでは、今後の紛争予防を展望する上で当面の課題と言えるものを以下において簡単に取り上げたいと考える。

ア.紛争予防のため共通の用語法とその基本的な概念についての合意の問題

紛争予防に関する用語を巡り混乱が生じているため、共通の用語法を確立することが望まれている。国連では、1997年から「予防外交」に代わり「予防行動」という総称の下で紛争予防に関する諸活動が再編成されていると既述した。そうした用語法を巡り、相当の相違が出てくるのはある意味ではやもうえないかもしれないが、その目的、その実施主体、実施手段、適用対象などといった最小限の事項について合意が形成される必要があろう。

例えば、紛争予防とは紛争の発生を予防するだけなのか、それとも紛争発生後に紛争が拡大することや、終結後に紛争の再発を予防することも対象に含めるべきであるのか、そうではないのか。紛争予防の実施主体には、どの主体まで含めるべきなのか。さらにその実施手段には、どのような手段まで含めるべきなのか。例えば、軍事的強制行動の威嚇を含めるとしても、実際の強制行動を含めるべきかどうかなど、多くの問題が検討される必要があろう。

イ.各主体間の調整の問題

紛争予防の実施主体には、国連やその地域的機関、その他の地域機構、各国政府、NGO、マス・メディア、個人などが考えられる。これらの多数に上る主体が紛争の予防に携わることから、各主体が取り組む役割について適宜に調整が行なわれる必要がある。こうしたことから、紛争の予防とは分業体制に基づく共同行動であると言われる時がある。この文言が明示するように、的確な分業体制あるいは役割分担の下に、各主体が相互補完的に紛争の予防に取り組むことが要求される。そのためには各主体間でどのように役割分担を決めるかという調整作業が行われる必要がある。それでは誰がそうした調整作業をどのように行うべきかが課題となる。

ウ.早期警報、早期対応の問題

ある国家間であるいはある国の中で紛争の発生が差し迫ったことを周知させる早期警報の発令は紛争予防のために決定的に重要であると考えられている。様々な理由から、発令された早期警報が無視されるようなことがあれば、重大な結果を招くことは明らかであろう。それと共に問題とされるのは、発令された早期警報が適宜に分析されるかどうかである。警報に基づききちんとした分析が施されることなく、誤った結論が導かれるようなことがあれば、それに基づきとられる実際の行動においても支障をきたすことは自ずと推測できよう。さらに重要なことは、早期警報に基づき適宜な分析が施され、そうした分析に従って早期に対応が図られるかどうかである。要するに、まず早期警報が発令されたかどうか、第二にそれに基づき分析が適宜に行われたかどうか、そして第三に、早期の対応が図られたかどうかが課題となる。

これらの三段階において的確な対応が講じられる必要があるが、早期警報が発令されたものの、実際の行動に移されないことがしばしば指摘されている。この早期対応の遅れはしばしば深刻な問題を発生させることになる。例えば、1994年にルワンダでフツ族とツチ族の相対立する部族間で大虐殺事件が発生する前に、国連は国際社会へ早期の対応を講ずるよう警報を発していたが、それに応じ国際社会が早期に対応を講じることはなかった。これと対照的なのは、旧ユーゴスラビアの解体に伴い発生した幾つかの紛争に対し国際社会が迅速に対処しようとした対応である。こうした対応の相違に現れているのは、自国の安全保障上の利害に密接に絡む紛争には迅速に対応する反面、自国と遠く離れ重要な利害関係を持たない国の紛争に、各国はなかなか迅速に対応しきれない傾向があることである。これに対し、どのように対応すべきかが重要な課題と考えられている。

警報に対する対応が遅れる際にそれに効果的に対処する方法として考えられる一つの方法はマス・メディアの効用と役割である。例えば、1991年12月にソマリアでシアド・バーレ政権が崩壊したことを契機として全土が無秩序状態へと陥ったソマリアでは、莫大な数の難民・避難民が流出することになった。その際、CNNなどのマス・メディアが紛争の悲惨な状況を世界に向かって「リアル・タイム」で報道したおかげで、国際社会が直ちに対処しなければならないという機運が生まれ、国連や関係国家が対応せざるを得ないと言う状況を生みだしたと言える。

エ.内政干渉の問題

内政不干渉や領土保全の原則は国家間関係を規定する重要な原則であり、この原則の重要性は国連憲章第二条七項において明確に規定されているとおりである。一国の国内紛争に対し外部世界が関与する上でしばしば困難を極めてきたのは、主にこの理由に基づく。(*16)しかしこのことが、一国の国内紛争に国際社会が全く関与できないことを必ずしも意味するものではない。国内紛争が多発する冷戦後の今日において、国家間紛争だけでなく国内紛争も紛争予防の対象として取り上げられるべきであり、そのためにはどのようにしたら複雑かつデリケートな内政問題へ外部世界が関与することが可能かどうか検討する必要があろう。

ただし、外部世界が一国の国内問題に関与するといっても、同国の国家主権や領土的保全が十分に尊重されなければならないことは言うまでもない。したがって、外部世界が国内問題を取り上げようとする際には当事者からの同意が確保される必要がある。実際にこれまで当事者からの同意に基づく形で仲介や調停に代表される「平和的解決手段」をつうじ国内問題の解決が図られてきたのである。(*17)しかし、当事者すべてからそうした同意を常に確保できるとは限らないため、どのように当事者から同意を引き出すかが課題となろう。

ここで、NGOの果たす役割が指摘する必要があろう。NGOには、一国で発生している深刻な人権問題など外部からなかなか把握できない実情を外部世界へ周知させると共にそうした政府の政策の是正を求める要求を世界へ発信することで、そうした要求を国際世論として作り上げ、そうした世論の圧力を背景として当該政府に対し批判の対象となっている政策を改めるよう促す重要なはらたきがある。この機能は国家主権の壁をあたかも浸透して行くかのような働きを演ずることができると表現できよう。NGOが政府組織だけでなく反政府組織を含め当事者の多くに対しも折衝することが可能なこととあわせ、NGOのこうした側面こそ国内紛争の予防にNGOが重要な役割を果たす重要な理由であると考えられている。代表的な事例として、東チモール問題に関するNGOの役割が指摘できよう。世界各国のNGOが東チモールで起きた深刻な人権侵害を長年にわたり世界に向けて発信してきたことによって、インドネシア政府も結局同問題に取り組まざるを得なくなり、その結果、同政府は東チモールの自治ならびに独立の検討を余儀なくしているのである。(*18)

また、最近アジア・太平洋地域において一国の国内問題が多国間の会議で討議される雰囲気が次第に育ちつつあることも重要な傾向として指摘される必要があろう。この点について、OSCEなどの討議に見られるように、内政問題への関与が欧州では実質的に進んでいるのとは対照的に、アジア・太平洋地域では国家主権の壁が厳然と存在し、内政問題を他国が議論することを慎むべきであると理解されてきたと言えよう。ところが、近年ASEAN外相会議の場で国内問題に対する対応の仕方が取り上げられるようになったことは重要な傾向と言えるであろう。例えば、この問題について1997年9月に開催された同外相会議で、マレーシア外相が持ち出した国内問題に対する「建設的介入(constructive intervention)」の概念を巡り、激しい議論が展開されることとなった。その後、98年7月のASEAN外相会議でタイ外相が「柔軟な取り組み(flexible engagement)」という概念を持ち出し、再び激しい論戦が続けられることになった。結局、同外相会議ではこのflexible engagementが取り下げられ、「一層の相互作用(enhanced interaction)」というやや曖昧な用語で落ち着くことになった。いずれにせよ、近年一国の国内問題に対する取り組みも叫ばれるようになってきていることは重要である。*19

  1. Boutrous Boutrous-Ghali, "An Agenda for Peace: Preventive Diplomacy, Peacemaking and Peace-keeping, Report of the Secretary-General pursuant to the statement adopted by the Summit Meeting of the Security Council on 31 January 1992," Department of Public Information, United Nations, New York, 1992. pp. 11-38.
  2. 冷戦後の地域紛争の特徴については、斎藤直樹『国際機構論』の15-16頁、169-173頁を参照のこと。またブトロス・ガリが1995年1月に公表した「平和への課題―追補」を参照のこと。Boutrous-Ghali, "Agenda for Peace 1995: Second Edition with the new supplement and related UN documents," Department of Public Information, United Nations, New York, 1995. pp. 7-12.
  3. Boutros-Ghali, "Agenda for Peace," op. cit.,p.11.
  4. Boutrous-Ghali, "Agenda for Peace 1995: Second Edition," op. cit., pp.12-14.
  5. http://www.un.org/Depts/dpa/docs/peacemak.htm参照のこと。
  6. 紛争の進展過程を時系列的に四段階に分ける方法論については、「予防外交と日本の役割―アクション・メニュー」(日本国際フォーラム、1998年2月)を参照のこと。
  7. 以下にみる紛争予防の具体的手段の詳細な記述について、前掲論文「予防外交と日本の役割―アクション・メニュー」を参照。
  8. 「日米欧対話―予防外交の実践とNGOの役割(記録)」日本国際フォーラム、1998年12月10日、57-58頁を参照のこと。「日米豪対話―予防外交の実践とNGOの役割(記録)」、日本国際フォーラム、1998年10月26日、53頁参照のこと。
  9. Boutrous-Ghali, "Agenda for Peace 1995: Second Edition," op. cit., pp. 7-8.
  10. 前掲論文「日米豪対話―予防外交の実践とNGOの役割(記録)」、57頁参照。
  11. フォークランド紛争の詳細については、以下を参照のこと。「欧州予防外交事情調査団およびラ米予防外交事情調査団(調査報告)」日本国際フォーラム、1998年2月、39-50頁。
  12. 紛争当事者が紛争の予防に強い関心を持たない場合には、おうおうにして紛争が発生してしまうことについて、以下を参照のこと。森本敏・横田洋三、『予防外交』、国際書院、1996年、72頁。
  13. 前掲論文「予防外交と日本の役割―アクション・メニュー」、29-30頁参照のこと。
  14. 前掲論文「予防外交と日本の役割―アクション・メニュー」、29-30頁参照のこと。
  15. この点について、森本・横田・前掲書『予防外交』の73-74頁を参照のこと。
  16. この点について、「欧州予防外交事情調査団およびラ米予防外交事情調査団(調査報告)」日本国際フォーラム、1998年2月、17頁を参照。また森本・横田・前掲書『予防外交』、72-73頁参照。
  17. 「アジア予防外交事情調査団およびアジア・太平洋予防外交事情調査団(調査報告)」、日本国際フォーラム、1998年12月、43-46頁を参照のこと。
  18. 前掲論文「アジア予防外交事情調査団およびアジア・太平洋予防外交事情調査団」、47-51頁を参照のこと。
  19. 前掲論文「アジア予防外交事情調査団およびアジア・太平洋予防外交事情調査団」、10頁、15-16頁を参照のこと。

[報告書目次]