提言/報告書

[報告書目次]

アジア地域の安全保障と原子力平和利用

アジアの地域安全保障体制と非核兵器地帯

黒沢 満  大阪大学教授

冷戦の終結に伴い、安全保障の問題が従来のグローバルな側面からリージョナルな側面に重点を移動しており、日本と取り巻く安全保障についても地域的なアプローチがこれから重視すべきであろう。核をめぐる地域的な安全保障の有益な措置の一つが「非核兵器地帯」の設置であり、冷戦の終焉とともに非核兵器地帯の領域でも大きな進展が見られる。このような状況において、本稿では、第一に、非核兵器地帯に関する最近の世界的な動きを検討し、第二にその内の一つである「東南アジア非核兵器地帯」の背景と内容および問題点を指摘し、第三に、朝鮮半島をめぐる核問題を「朝鮮非核化共同宣言」を中心に検討し、最後に、北東アジア非核兵器地帯の可能性を日本との関連で論じる。

1. 非核兵器地帯の最近の進展

1967年に採択された「ラテンアメリカ核兵器禁止条約」(トラテロルコ条約)は、最近まで、アルゼンチン、ブラジル、チリといった国に対して条約が発効していなかったため、その適用範囲が限定的であったが、1994年にこれらの国も当事国となったため、当事国はほぼ完全なものとなった。あとキューバの加入が近く予想されている。また5核兵器国がすべて附属議定書IIをすでに批准し、非核の地位の尊重と核兵器の不使用を約束している。地域のすべての国家が加入した場合には、非核兵器地帯の適用範囲は、公海を含む広い範囲となる。

1985年に署名された「南太平洋非核地帯条約」(ラロトンガ条約)は、核兵器国による支持の点から、これまで十分ではなかった。まずニュージーランドの非核法に反発していた米国は、冷戦が終結し、米国の核政策の変更および米国とニュージーランドの関係修復までは、その地帯を支持し、核兵器の不使用を約束する議定書2に署名しようとしなかった。さらにフランスは、ムルロワ環礁で核実験を実施してきたため、議定書2および地帯内での核実験を禁止する議定書3を署名しようとはしなかった。フランスの核実験をやめさせるというのがこの非核地帯設置の最大の理由であったが、包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉の開始と1996年以内の条約の完成という流れの中で、今年になってこれが実現した。フランス、米国、英国は、1995年10月20日に国連総会で共同声明を発表し、1996年の前半に議定書に署名する意思を明らかにし、3月25日に署名した。

アフリカにおいては、1960年にフランスが最初の核実験をサハラ砂漠で実施したため、アフリカ諸国は、1964年にアフリカ統一機構(OAU)において、「アフリカ非核兵器地帯宣言」を採択した。この宣言は翌年の国連総会決議で支持されている。その後、フランスが実験場を南太平洋に移したこと、ならびに南アフリカの核兵器開発が進められたことから、この構想は実現の方向に進まなかった。冷戦が終結し、ソ連の勢力およびキューバ軍がアンゴラ等アフリカ地域から撤退したことを契機に、南アフリカは1991年に非核兵器国として核不拡散条約(NPT)に加入し、その後すでに所持していた6発の原爆を廃棄したことを明らかにした。このような流れの中で、アフリカ諸国は再び非核兵器地帯の設置に取り組み、1995年6月に「アフリカ非核兵器地帯条約」(ペリンダバ条約)を採択した。核兵器国との間で問題になっているのは、領土の帰属を巡るものであり、インド洋のデエゴ・ガルシア島の地位である。OAUはこれがモーリシャスに帰属するとしているが、英国は自国領であると主張し、米国に軍事基地を貸与している島である。条約の採択が遅れた最大の理由はこの島の取扱いであるが、条約ではこの島は附属1の「アフリカ非核兵器地帯の地図」に現れているが、この島の部分は点線が囲まれ、これは主権の問題をprejudiceするものではないと書かれている。

さらに東南アジアの10ヵ国は、1995年12月15日に「東南アジア非核兵器地帯条約」に署名した。この条約はアジアにおけるものであるので、第Ⅱ章で個別に取り上げる。

2. 東南アジア非核兵器地帯条約

東南アジアの5ヵ国は、1967年8月8日に東南アジア諸国連合(ASEAN)を設立する宣言に合意したが、その前文において「いかなる形態による内政干渉ないし示威からもその安定を確保することを固く決意している」ことを考慮していた。さらに1971年11月27日にクアラルンプールにおけるASEAN特別外相会議において、「平和・自由・中立地帯(ZOPFAN)」宣言を採択した。これは、「外部の力による干渉から自由である平和・自由・中立地帯としての東南アジアの承認、およびそれへの尊厳を確保するために必要な努力を開始すべきことを決意する」ものであった。その前文において、東南アジアにおける永続的平和の達成の希望、内政の干渉からの自由の権利の認識、平和、自由および独立の維持の決意などの表明とともに、ラテンアメリカ非核兵器地帯条約およびアフリカ非核兵器地帯宣言に言及しつつ、非核兵器地帯の設置への重大な傾向を認識しており、東南アジア非核兵器地帯の設置はこの「平和・自由・中立地帯」設置の一つの構成要素と考えられていた。

1980年代に非核兵器地帯の設置に向けての動きがあったが、冷戦時においては東南アジアも米ソを中心とする世界的な東西対立の枠組みに組み込まれており、それは構想の段階にとどまった。特にフィリピンには米国の核兵器が存在していたし、ベトナムにはソ連の核兵器が配備されていると考えられていた。また冷戦時には東南アジア諸国の間に東西対立が持ち込まれていたことの外に、カンボジアの内戦にも東西対立が持ち込まれていたため、この時期に非核兵器地帯を設置することは不可能であった。

冷戦の終結とともに、米国およびソ連はその戦力を撤去し始め、カンボジアも4派の和平協定により安定がもたらされた。さらにASEANは内部の結束を固めるとともに、ARF(ASEAN地域フォーラム)の設立によりアジア・太平洋における平和・安全保障の問題に重要な役割を果たすようになった。また冷戦の終結により東西対立の影響が東南アジアでも消滅し、ASEAN7ヵ国とラオス、カンボジア、ミャンマーの10ヵ国が東南アジア諸国として協力することが可能になった。また冷戦の終結により米国およびソ連の勢力が撤退したため、この2超大国の影響は薄れたが、それに伴い東南アジアに対する中国の影響力が強大になってきた。特にスプラトリー(南沙)諸島をめぐる領有権争いおよび中国の軍事力の増強などが、東南アジア諸国に対する共通の脅威となっていた。

このような状況において、東南アジアの10ヵ国は1995年12月15日に「東南アジア非核兵器地帯条約」に署名した。この条約は前文、本文22条と附属書、および議定書から成っている。基本的には従来の非核兵器地帯である「トラテロルコ条約」「ラロトンガ条約」「ペリンダバ条約」と同様である。条約作成に際してオーストラリアからさまざまの助言を得たため、特に「ラロトンガ条約」に類似している。まず「東南アジア非核兵器地帯」とは、10ヵ国の領域ならびにそれらの大陸棚および排他的経済水域(EEZ)から構成される地域を意味するとされ、本条約および議定書は、条約が発効している地帯内締約国の領域、大陸棚およびEEZに適用されると一般的に規定されている。しかし個々の規定を見ると、条約のすべての義務がこれらの地域全体に適用されるわけではないので、個別的に検討することが必要である。特に、中国と米国がこの点からこの地帯を非難しているということがあるので、以下に詳細に検討する。

まず各締約国は、地帯の内および外におけるいかなる場所においても、(a)核兵器の開発、製造、その他の取得、所有または管理、(b)いかなる手段であれ核兵器の配置または輸送、もしくは、(c)核兵器の実験または使用、をしないことを約束している。

次に、各締約国は、その領域において、他のいかなる国であれ、(a)核兵器の開発、製造、その他の取得、所有または管理、(b)核兵器の配置、もしくは、(c)核兵器の実験または使用、を許さないことを約束している。

第3に、各締約国は、(a)放射性物質または廃棄物を地帯内の海洋に投棄し、または地帯内のいかなる環境にも放出すること、(b)放射性物質または廃棄物を他国の領域または管理下にある陸地で処分すること、もしくは、(c)その領域内で、他国が放射性物質または廃棄物を海洋に投棄しまたはその環境に放出するのを許すこと、をしないことを約束している。

これらの基本的義務を検討するならば、第1の義務は締約国が地帯の内外で行うことが禁止されており、第2の義務は、他の国(特に核兵器国を含む)に許可しないことを求める義務であるが、これは締約国の領域に限られており、第1の義務と比較するならば、基本的には同じであるが、輸送(transport)については、前者には含まれているが後者には含まれていない。第3の義務は、締約国については地帯内であるが、他の国については領域内における活動を禁止している。

したがって、これらの基本的義務に関する限り、核兵器国を初めとする地帯外の諸国が大陸棚およびEEZで禁止されるものはない。

また第7条の「外国の船舶および航空機」に関する規定では、各締約国は、通告された場合に、外国の船舶および航空機によるその港および空港への寄港、外国航空機によるその領空の通過、ならびに無害通航、群島航路帯通航、または通過通航の権利により規律されない方法による外国船舶によるその領海または群島水域の通航、および外国航空機によるそれらの水域の上空飛行を許可するかどうかを自ら決定することができる。

ここでは、従来の非核兵器地帯と同様に、寄港や領海通航については個別的に締約国が判断することになっており、非核兵器地帯の設置そのことによって影響を受けるものではない。ただ締約国が非核への意思表示として自主的にそれを否認する傾向が増大することは有り得るであろう。さらに大陸棚およびEEZに関してはこれらの通航の問題はまったく規制されていない。

5核兵器国が署名し批准することが予定されている条約の議定書は、第1条で、各締約国は、東南アジア非核兵器地帯条約を尊重し、条約またはその議定書の締約国による違反を構成するいかなる行為にも寄与しないことを約束し、第2条で、各締約国は、条約締約国に対して核兵器の使用または使用の威嚇を行わないことを約束し、さらに東南アジア非核兵器地帯内で核兵器の使用または使用の威嚇を行わないことを約束することになっている。したがって、核兵器国が大陸棚およびEEZを含む地帯全体で引き受ける義務は、この核兵器の使用または使用の威嚇の禁止の義務のみである。

中国は、これまで核兵器の使用禁止、特に非核兵器国および非核兵器地帯に対する核兵器の使用禁止にはきわめて積極的であり、多くの機会にその政策を明言し、トラテロルコ条約およびラロトンガ条約の議定書には批准を済ませている。また包括的核実験禁止条約(CTBT)の交渉過程においても、核兵器の使用禁止、核兵器の先制使用の禁止に関する条項をその条約に入れることを強く主張している。したがって、これまで自国の国益がからまない状況で推進してきた主張につき、自国の国益が直接関連するこの条約の場合に中国がどのように振る舞うかは興味のあるところである。

しかし南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島をめぐる領有権争いのため、中国がどれほど積極的にこの地帯を支持するかは不明である。特に大陸棚およびEEZにおいて核兵器の使用または使用の威嚇を禁止されることは、中国にとって好ましいことではない。しかし東南アジア諸国にとって、非核兵器地帯設置の最大の目的は、中国の核兵器を中心とする軍事力の影響をできるだけ少なくすることであろう。これは、ラロトンガ条約の最大の目的がフランスの核実験の停止であり、初期には全く無視されていたが、長期的には達成されることになったことと類似性をもつかもしれない。

他方、米国はこの非核兵器地帯の設置により、核搭載船舶および航空機の自由な行動が妨げられることを懸念している。条約および議定書の文言の検討から明かなように、この条約による非核兵器地帯の設置により以前フィリピンに核兵器を配備していたような活動は禁止されるが、船舶の航行などに関しては海洋法を初め一般国際法の規定が適用されるのであり、この条約の成立により新たに禁止されるのは、大陸棚およびEEZを含む地帯内での核兵器の使用もしくは使用の威嚇の禁止である。厳密に法的な観点から見ると、米国の留保は必ずしも明確ではないが、政治的な側面から考えるならば、各国が非核の状態を厳格に適用する方向に移行することは当然予想されることである。

3. 朝鮮半島非核化共同宣言

北朝鮮の核疑惑をめぐる問題は1994年10月の米朝間の「枠組み合意(Agreed Framework)」により、一応の道筋が示されたがまだ多くの不透明な部分が残されている。朝鮮半島非核化については、以下のことが合意された。

III.両国は非核朝鮮半島に基づく平和と安全保障のため協力する。

  1. 米国は、米国による核兵器の威嚇または使用を行わないという正式の保証を北朝鮮に与える。
  2. 北朝鮮は、朝鮮半島非核化北南共同宣言の履行のための措置を一貫してとる。
  3. この枠組み合意が南北の対話を促進する雰囲気を作り出すのに役立つので、北朝鮮は南北対話に取り組む。

したがって、朝鮮半島非核化共同宣言はまだ消滅しておらず、今後の履行が規定されているので、以下にその背景と内容、問題点と不履行の理由などを検討する。

冷戦の間においては、朝鮮半島は東西対立の中心にあったが、冷戦の終結とともに若干の変化が見られた。もっともヨーロッパにおける変化と比較すればきわめてわずかな変化である。北朝鮮はソ連からの原子力援助に際して1985年にNPTに加入したが、IAEAとの保障措置協定を締結してこなかった。北朝鮮はIAEA保障措置問題と韓国にある米国の核兵器問題をリンクさせ、米国の核兵器が撤去されるまで保障措置協定を署名しないという態度を示してきた。これに対して、韓国は両者は別の問題であり、リンクさせるべきではないという立場を主張していた。1991年9月27日に、ブッシュ米国大統領は世界の各地域からまた海洋戦力から戦術核兵器を撤去するという決定を宣言した。これにより韓国に配備された核兵器もすべて撤去されることになり、北朝鮮の要求が満たされることになった。1991年10月、11月の両国の主張は、朝鮮半島において核兵器を製造、所有、配備、使用などを禁止する点では同じであったが、北朝鮮は、核兵器搭載船舶と航空機の領海および領空の通過ならびに寄港や着陸の禁止も含んでおり、「核の傘」の否定を規定していたが、韓国はそれらは受け入れられないとし、核燃料の再処理および濃縮の施設を所有しないという項目を含んでいた。また査察につき北朝鮮は、北朝鮮の核施設と韓国の米軍基地に対する査察を同時に行うと主張し、韓国は、IAEAの査察とは別に、北と南の軍事・民生両方の施設の査察を行うとしていた。

1991年12月13日に、「南北間の和解、不可侵、交流・協力に関する議定書」が署名されたが、これは1945年の朝鮮の分裂以来二国間の最も重要な合意となっている。12月18日に、盧泰愚大統領が、韓国には一つの核兵器も存在しないことを宣言し、12月末に両国は非核化に関する交渉に入り、12月31日に「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に(仮)署名した。その内容は以下の通りである。

  1. 南と北は、核兵器の試験、製造、生産、接受、保有、貯蔵、配備、使用を行わない。
  2. 南と北は、核エネルギーを平和的目的にだけ利用する。
  3. 南と北は、核再処理とウラン濃縮施設を保有しない。
  4. 南と北は、朝鮮半島の非核化を検証するため、相手側が選定し双方が合意した対象について、南北核管理共同委員会が規定する手続と方法によって査察を実施する。
  5. 南と北は、この共同宣言の履行のため、共同宣言の発効後1ヵ月以内に南北核管共同委員会を構成し、運営する。
  6. この共同宣言は、南と北がおのおの発効に必要な手続を経て、その本文を交換した日から効力を発生する。

この共同宣言の主要な内容を分析すると以下のことが明らかになる。

  1. 両国は、核兵器に関するあらゆる活動を禁止し、朝鮮半島を非核の状態に維持することに合意した。
  2. 北朝鮮が主張していた、韓国に対する米国の「核の傘」の放棄は含まれていない。
  3. 北朝鮮が主張していた、核搭載船舶や航空機の領海や領空の通過、寄港や着陸の禁止は含まれていない。
  4. 北朝鮮の主張していた、米国、ソ連、中国による非核の地位の保障も含まれていない。したがって、完全に南北朝鮮二国間の協定となっている。
  5. 核兵器のみならず、再処理施設およびウラン濃縮施設の保有も禁止される。
  6. 査察については、「相手側が選定し双方が合意する対象」となり、きわめて限定的に規定された。
  7. 査察の手続と方法については、後に設置される「南北核管理共同委員会」に委ねられた。

その後1992年1月7日に、韓国は1992年のチームスピリット合同軍事演習の中止を発表し、1月30日には北朝鮮はIAEAとの保障措置協定に署名した。

1992年2月19日に朝鮮半島非核化共同宣言は、「議定書」とともに効力を発生し、1ヵ月後の3月19日に「核管理共同委員会」が設置された。この委員会においては、実施されるべき二国間査察制度について南北の意見が大きく対立した。北朝鮮は、相互の疑惑を同時に解決するという原則に則り、北は南にあるすべての米軍基地を査察できることとし、南はヨンビョンの核施設にアクセスできると主張した。他方、韓国は、相互性の原則により、北はさらにその軍事基地をも査察に公開すべきであること、年間に許される査察の回数を同じにすべきことを主張し、さらに特別査察――24時間の事前通告で拒否権なしの査察――をも強調した。北はそのような手続は合意の範囲外であるとして拒否した。

失敗の原因として、Seong W. Cheonは、(1)北朝鮮が公開性に対して伝統的に抵抗してきたことが、検証に対する敵対的な態度となっていること、(2)両国間にほとんど信頼関係が存在していないこと、(3)両国とも短射程センサー以外に監視能力をもっとおらず、現地査察が必要になるが、それは最も侵入的な検証手段であり、長年の信頼醸成の後にやっと可能になること、を挙げている。

1992年の後半から、北朝鮮の冒頭査察とIAEAの特定査察の結果に齟齬がみられること、および米国が偵察衛星からの建物の写真を公表したため、北朝鮮の核疑惑が表面化し、北朝鮮の協力的な態度がみられないため、米国と韓国は合同軍事演習の再開を示唆していたが、1993年1月26日に米韓軍事演習を3月9日に行うことを発表した。その後、2月9日にIAEA事務局長は、北朝鮮に対して特別査察を要求し、3月12日に北朝鮮はNPTからの脱退を通告するというふうに事態が悪化し、非核兵器地帯に関わる査察は実行されていない。

したがって、1994年10月の枠組み合意を迅速に履行し、朝鮮半島の緊張を緩和することによって、朝鮮半島非核化宣言を実効性あるものに変えていく必要がある。そのためには南北対話が必要であり、KEDOによる原子炉の建設などをてこに半島の情勢の好転を図り、南北対話を復活させ、核管理共同委員会の再開を促進させることが急務である。

4. 北東アジア非核兵器地帯の展望

日本を含む北東アジアの安全保障の問題を考える際に、この地域に非核兵器地帯を設置するというアイディアが示されてきている。他の地域に較べてその可能性はかなり低いと考えられるが、冷戦後の安全保障を考える場合に、特に中長期的に考える場合には検討に値する問題である。以下においてさまざまな提案を材料に問題点を指摘する。

北東アジアの非核化を検討する場合には、常に朝鮮半島が中心となる。それはこの地域が冷戦の対立をいまだに引きずっており、一番不安定な地域だからである。したがってこの問題は、1992年の朝鮮半島非核化宣言が出発点となる。一つの考え(William Epstein)は、この宣言を2国間だけのものから、正式の非核兵器地帯条約とし、心理的、政治的、法的にもっと印象的なものにし、他の諸国から尊重するとの約束を獲得し、さらに消極的または積極的安全保障を核兵器国から確保すべきであると主張する。

その他の提案は、南北朝鮮だけでなく、日本その他の諸国を含めるものである。一つは、南北朝鮮と日本の3国によるもの、次に、さらに台湾、モンゴルを含めるものがあり、第3には非核兵器国だけでなく、核兵器国(中国、ロシア、米国)の一部を含める提案がある。第3の提案(John Endicott)によれば、(1)朝鮮半島の非武装地帯の中心から半径1,200海里の円形の地帯(中国、台湾、日本、モンゴル、北朝鮮、韓国、ロシア、米国)、(2)楕円形の地帯で、西端は北東中国、東端は米国アラスカ、(同上)、(3)北太平洋地帯、北太平洋内の一定の地域、北東アジア、東ロシア、西米国(アラスカ)。これらは「北東アジアにおける限定非核地帯」(a Limited Nuclear Free Zone in Northeast Asia)と呼ばれており、第1の特徴は、核兵器国の一定の領域を含めていること、第2の特徴は、すべての核兵器の配備を禁止するのではなく、最初は、非戦略核兵器および戦術核兵器を対象としていることである。

日本を含む非核兵器国だけから成る非核兵器地帯の設置についての問題点の一つは、朝鮮半島非核化宣言を拡大して日本にも適用しようとする考えであるが、朝鮮半島非核化宣言は「核再処理および濃縮の施設をもたない」という義務が含まれているため、これを日本に適用することは現段階では不可能である。したがって、朝鮮半島を含みかつ日本が参加する非核兵器地帯の設置については、再処理および濃縮に関して南北朝鮮と日本とは異なるルールが適用されなければならない。ただ非核兵器地帯一般の権利義務を見る限り、朝鮮半島の場合が特殊、例外的であり、通常は非核兵器地帯の概念と再処理および濃縮の禁止とは関連しない。

日本と非核兵器地帯の問題を考える際の、最大の課題は日米安全保障条約との関連であろう。非核兵器地帯の支持に関する米国の7つの条件の内、(1)現存の安全保障取り決めを害しないこと、(2)航行の自由を害しないこと、(3)寄港や上空飛行に影響しないこと、というのが関連してくる。まず(3)の寄港や上空飛行については、これまでの4つの非核兵器地帯において、それらは締約国の判断に任されており、条約により規律される問題ではない。(2)の航行の自由についても、国際法とくに国連海洋法条約に従った航行の自由は影響を受けない。たとえ領海であっても、国際海峡である場合(日本の5つの海峡)は、通過通航が認められ、核兵器搭載船舶および航空機は通過のために自由に航行できる。日本の領海法は領海を3海里から12海里に拡大した時に、5つの海峡については領海を3海里のままにするとした。これは非核三原則との関連で、政府の解釈は領海での核兵器搭載船舶の航行を認めていないので、それとの矛盾を回避するためであったと思われる。非核兵器地帯の設置によって問題が生じるとすれば、核搭載艦船の寄港や領海航行を禁止している非核三原則と必ずしも禁止していない非核兵器地帯の制度という、逆の方向での矛盾が明らかになるかもしれない。

(1)の現存の安全保障取り決めを害しないことについては、安保条約の堅持という日本政府の立場からして、非核兵器地帯の設置がどのような影響を持ち得るのかを検討する必要があろう。日本に米軍基地があることとの関連では、たとえばオーストラリアに空軍と海軍の基地や施設が存在し、シンガポールに海軍、空軍が駐留している。またパナマやホンジュラスにも米軍が駐留している。これらの諸国は現存の非核兵器地帯に含まれる国であり、基地の存在または同盟関係は非核兵器地帯の設置の妨げとはなっていないことの証拠を提供している。

米国の「核の傘」の下にありながら、「非核兵器地帯」となることは可能か。非核兵器地帯の概念は非核三原則の内容よりも緩やかであり、非核三原則を厳格に遵守するという立場であったならば、それほど問題は生じない。しかし、非核三原則は法律ではなく、国是にすぎず、歴代政権により口頭での支持は表明されてきたが、その実施は、特に冷戦時代においては柔軟であり、厳格に実施されてきたとは言えない。冷戦の終結とともに、米国の政策の変更、すなわち水上艦船および潜水艦には通常核兵器を搭載しないという政策がとられたことにより、最近では現実には非核三原則が遵守されていると言えるが、この状況を法的に、国際法で規律することが可能かどうかという問題がある。

朝鮮非核化共同宣言に先立ち、韓国から米国の核兵器が撤去された。しかしこの事実にもかかわらず、韓国が依然として米国の「核の傘」の下にあることは疑問視されていない。したがって、核兵器の配備と核の傘とは必ずしも同一視できない。

また、将来において南北朝鮮が何らかの形で統一を達成した場合、新たな統一国家が核兵器を保有する可能性は否定できない。両国ともNPTの加盟国でありそれを承継するであろうが、南北非核化共同宣言は二国間条約であり統一とともに国際法的な地位を失うであろう。その観点から考えるならば、南北朝鮮と日本などの第三国を含む非核兵器地帯条約を、南北統一以前に発効させ、統一以後もそれを遵守させるのが好ましいと考えられる。

この非核兵器地帯の構想と対になってよく提案されているのが、原子力の平和利用における地域的な協力体制の構築である。これは原子力の平和利用を推進しながらも核兵器への転用を防止し、核不拡散体制を強化することを目指すものである。そこでは地域的な保障措置制度なども提案されており、これらの協力を通じて諸国間の信頼を醸成し、より安定した平和な北東アジアを構築していくべきであろう。この原子力平和利用の協力体制と非核兵器地帯の設置は、並行して追求すべきものである。

このように、北東アジアの安全保障については、冷戦の終結の後さまざまな提案が出されており、特に非核兵器地帯の設置の可能性についても積極的に議論を進めて行くべきであろう。

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