提言/報告書

[報告書目次]

アジア地域の安全保障と原子力平和利用

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核疑惑問題

斎藤 直樹  平成国際大学教授

はじめに

冷戦時代、軍備管理の焦点は米ソ間の戦略兵器の削減を目的とする軍備管理交渉であった。それらはSALT-I、SALT-II、START-I、START-IIなどに代表される。そして冷戦の終結までに、重要な軍備管理条約の多くは調印を見た。そして冷戦後の今日、軍備管理の焦点は締結された軍備管理条約の履行に移った。加えてその焦点は核、生物、化学兵器などの大量破壊兵器の不拡散問題へと移行している。特に、核兵器の不拡散問題は今日最も重大な問題を提起している。

核兵器の不拡散体制はNPTとIAEAの保障措置に基づく。しかし冷戦時代、同体制は必ずしも効果的に拡散を防止してきたとは言えない。その背景には幾つかの重要な理由が存在する。NPTの枠外に立つインドやパキスタンなどの国家が核兵器を開発してきた。NPTに加盟した国の幾つかも核兵器を開発してきた。さらに、核保有国である中国やフランスがNPTに参加していなかった。加えて、米ソ両超大国は1985年にゴルバチョフ政権が発足するまで軍備管理交渉に真剣に取り組んできたとは必ずしも言えなかった。

しかし冷戦後、不拡散体制を取り巻く環境は大きく変容してきた。1991年12月のソ連邦の崩壊は冷戦の終結をもたらしたと同時に、重大な影響を不拡散体制に与えることになった。ソ連邦の解体後、ロシアが旧ソ連の保有した莫大な核兵器を一元的に管理する必要が生まれた。加えて、旧ソ連の核兵器が他国に流出する危険性を阻止する必要が認識された。次に、イラクが1991年2月の湾岸戦争における敗戦後、国連安保理事会決議に従いIAEAの査察に応じさせられた結果、イラクの核兵器開発が明らかとなった。この事件を契機として、未申告の施設に対する特別査察の必要性が痛感され、1992年2月にIAEAは特別査察を実施する権限を有することを確認した。(*1)

また南アフリカは1992年に自発的に核兵器を廃棄し、IAEAの保障措置に応じた最初の国となった。これはインドやパキスタンなどNPT未加盟国が従うべきモデルともなった。この間、NPTの加盟国は着実に増加した。中国とフランスが1992年にそれぞれ加盟しただけでなく、多くの発展途上国も加盟し、NPTは最も多くの国家が参加する条約となった。1995年8月現在、NPTに調印している国は179カ国に達した。さらに1995年5月にNPTの無期限・延長が決定された。これらの進展は不拡散体制が冷戦後次第に強化されていることを物語る。しかしこれをもって問題が必ずしも全面的に解決されたわけではない。

インドやパキスタンなどが依然として核兵器を開発している。加えて、北朝鮮やイランがNPT加盟国でありながら極秘に核開発を進めているのではないかと疑惑を呼んだ。特に、北朝鮮の核疑惑問題は北東アジア地域の安全保障に対してだけではなく、NPTとIAEAに基礎を置く世界大の核不拡散体制にとって重大な脅威として浮上したのである。以下において、不拡散体制に重大な問題を突きつけることになった北朝鮮の核疑惑問題に対し、国際社会はどのように対処したかを考察する。

1. 北朝鮮の核疑惑問題を巡る展開

北朝鮮は1985年12月にNPTに加盟したが、IAEAと保障措置協定を締結したのは、NPT加盟から約6年後の1992年1月であった。この間、米国の偵察衛星による写真情報を契機として、北朝鮮の核疑惑はしばしば指摘されてきた。

北朝鮮の核開発疑惑の焦点となったのは、ヨンビョン近郊に位置する複数の核関連施設である。第一は1986年に運転を開始した5MW(メガワット)黒鉛型減速炉である。同原子炉はIAEAに申告済みであった。第二は核燃料の再処理施設と目された「放射化学試験所」と北朝鮮が呼んだ施設である。同施設もIAEAに申告済みであった。第三は核廃棄物貯蔵施設と目される2カ所の施設である。北朝鮮はこれらの施設は軍事施設であるとして、IAEAに申告していなかった。

北朝鮮が1989年に5MW黒鉛炉を約100日間にわたり運転を中止したが、その期間中に、プルトニウムを取り出したのではないかと疑いがもたれた。北朝鮮は90グラム程度のプルトニウムを一度取り出したと1992年にIAEAに提出した報告書の中で釈明した。(*2)

IAEAは同報告を受け査察を実施した結果、北朝鮮は複数回に渡りプルトニウムを抽出した可能性があり、しかもその推定量は最高15キログラムにも上ると推定した。それまでに、米国の衛星が核廃棄物貯蔵施設と見られる未申告施設2カ所の存在を突き止めたことから、5MW黒鉛炉において抽出されたプルトニムが再処理され、これらの核廃棄物貯蔵施設に貯蔵されているのではないかと疑問視されるようになった。

その後、IAEAが1993年2月に未申告施設2カ所に対する特別査察を要求するに至り、北朝鮮は特別査察を拒否し、1993年3月にNPTからの脱退を宣言した。これに対し、北朝鮮の脱退を食い止めるために、国連安保理は決議825を採択した。そして同決議を受け、米国は核問題を解決すべく北朝鮮に二国間交渉を打診したのを契機として、米朝高官協議が開始されることになった。その中で、米国は北朝鮮に核開発計画を断念させるために、北朝鮮が保有する黒鉛炉を放棄させる代り、軍事目的に転用し難い軽水炉を供与することを北朝鮮に打診した。

これに対し、北朝鮮は軽水炉の給与には積極的に応ずる姿勢を示した反面、未申告施設2カ所に対する特別査察を一貫して拒絶しただけでなく、申告済みの核関連施設に対する査察に対しても全面的に応じなかったため、北朝鮮の核疑惑は一向に収まらなかった。その間、北朝鮮は米国並びにIAEAとの間で、査察の受入と査察の範囲などを巡り対立を続けた。

そして1994年5月半ばには、北朝鮮が5MW黒鉛炉の使用済み燃料棒をIAEAの立ちあいのないままに抜き取る作業を開始した。この結果、IAEAとしては北朝鮮が過去に核物質を軍事目的へ転用しなかったことを確認することがもはや不可能となったと国連安保理事会に報告した。これを受け、安保理事会は北朝鮮に対する経済制裁の討議を開始するに至り、事態は重大な局面を迎えた。

この間、IAEAは6月10日に北朝鮮に対する技術供与を停止するという制裁を決議したのに反発して、北朝鮮は6月13日にIAEAから脱退するに至った。これに対し、米国は安保理事会に対して北朝鮮に対する経済制裁案を提示したのを契機として、制裁案の採択を巡り事態は一層緊迫の度を増した。しかし中国が反対の姿勢を貫いたため、決議は結局採択されなかった。しかし、北朝鮮と韓国の間の武力対決の危険性を含め、朝鮮半島は著しく緊迫するに至った。

こうした危機的状況は、6月16、17日のカーター元大統領と金日成主席との間の会談によって打開されることになった。カーター訪朝を通じ、北朝鮮が核開発を凍結することを約束したのに対し、米国は軽水炉の供与を約束した。このように、クリントン政権は北朝鮮が核物質を軍事目的に転用しなかったことを検証することを諦め、軽水炉を供与することを条件に、北朝鮮の核開発を放棄させる方策を選択した。

こうして米朝高官協議が再開され、10月21日に「枠組み合意」が調印された。

「合意」によれば、米国は2003年までに1,000MWの発電能力を持つ軽水炉を2基北朝鮮に供与する。この目的のために、米国は国際共同事業体を創設する。米国は国際共同事業体を代表し、6カ月以内に、北朝鮮と軽水炉の提供に関する契約を締結する。国際共同事業体は最大40億ドルの資金を提供する。軽水炉の第1号基が運転を開始するまで、北朝鮮は黒鉛炉を凍結するが、凍結に伴い損失するエネルギーを補償するため、米国は年間50万トンの代替エネルギー(重油)を北朝鮮に供給する。

これに対し、北朝鮮は1カ月以内に、黒鉛炉ならびに関連施設を凍結する。黒鉛炉を凍結するということは、5MW黒鉛炉に関しては、操業を停止することであり、新たに燃料棒を注入しないことに加え、使用済み燃料棒を再処理しないことを意味する。加えて、「放射化学試験所」を閉鎖する。さらに建設中の50MW黒鉛炉並びに200MW黒鉛炉の建設を中止する。

次に、軽水炉の第1号基の核心部分が北朝鮮に搬入されるに伴い、北朝鮮は未申告施設2カ所に対する特別査察を受け入れることになる。しかし、第1号基の核心部分の搬入が2000年まで行われることはないことから、特別査察が実施されるまでに約5年の猶予が与えられた。

さらに、軽水炉の第1号基が完成した後に2号基が完成するまでに、北朝鮮は3基の総ての黒鉛炉および再処理施設を解体する。これは2003年に実施される。

この「合意」には、北朝鮮が5MW黒鉛炉からプルトニウムを抽出して、軍事目的に転用しなかったかどうかについて論及されていない。「合意」は、北朝鮮の過去の核疑惑問題を臥せることを通じ、黒鉛炉並びに関連施設を将来的に解体させることを目的とした。したがって「合意」を通じ、朝鮮半島を巡る当面の危機は回避された反面、北朝鮮が実際に核開発を行っていたかたどうかという問題は不明のままとなった。そのために「合意」の評価は大きく分れるところである。以下において、「合意」を高く評価する見解と反対に「合意」を厳しく批判する見解を概観する。

2. 「合意」に対する積極的評価

「合意」を高く評価する見解によれば、「合意」は北東アジア地域の安全保障環境の安定に大きく寄与する。こうした見解は、もし米朝高官協議が決裂し、北朝鮮が核兵器の開発を表立って進めるという事態になったとすれば、韓国と日本に与えた衝撃は図り知れなかったという認識の下に、もしそうした状態が生じたならば、両国は非核国の地位を放棄し、自前の核兵器開発に向かいだしたかも知れないと論ずる。もしそうなれば、不拡散体制は根底から揺るがされることになったことから、「合意」は最悪の事態を回避することを通じ、不拡散体制を強化したと主張する。(*3)

加えて、「合意」は北朝鮮の核開発問題を解決するだけに留まらず、米朝両国の関係の正常化、南北対話などを包有する包括的な内容を持つ。北朝鮮が「合意」を履行すれば、北朝鮮と米国、韓国、さらには日本との間の二国間関係も実質的に改善とすると予想できる。

さらに北朝鮮による「合意」内容の履行が完了するのは2003年と予定されているが、それまでの期間中、国際社会は北朝鮮がどのような行動を取るか監視し、それに対し臨機応変に対処することができる。(*4)

この結果、北朝鮮は以前の鎖国状態から脱して、国際社会の前面に引きずり出されることになる。

3. 「合意」に対する批判的評価

他方、「合意」に対する幾つかの厳しい批判も見られる。批判的な見解によれば、「合意」は結果的に不拡散体制を弱体化させかねない内容を持つものである。その理由の一つとして、批判的見解は「合意」によってIAEAの特別査察が数年後にずれ込むことを指摘している。米国が軽水炉の核心部分を引き渡した後に、北朝鮮の未申告施設2カ所に対する特別査察が実施されることになった。軽水炉が引き渡されるのが2000年ぐらいと見られることから、特別査察は5年以上先に引き伸ばされたことになると批判的な見解は主張する。(*5)

加えて、北朝鮮が特別査察を受け入れるとしたのは政治的コミットメントに過ぎず、今後受入れを覆しかねない危険性がつきまとう。北朝鮮は特別査察を受入れるかどうかをちらつかせ、米国に対し一層の譲歩を要求しかねない。従って、未申告施設2カ所に対する特別査察が実際に実行されるかどうかは依然として確定していないと言える。

さらに、IAEAが2000年頃に北朝鮮に対し特別査察を実施することがあっても、北朝鮮が以前に「放射化学試験所」を使用して核物質を再処理し、核廃棄物を2カ所の施設に実際に貯蔵していたかどうか必ずしも明らかになるわけではない。(*6)

IAEAが特別査察を数年後に実施するまでに、北朝鮮が2カ所の施設内に貯蔵されていると見られた核廃棄物を他の施設に移送すれば、特別査察を実施しても発見できないという事態が起こりうる。

北朝鮮に「合意」内容を受諾させるために、米国を初め関係諸国は40億ドルも要する軽水炉2基に加えて代替エネルギーを供与することになった。こうした「合意」を通じ、北朝鮮が核開発を中止する代りに莫大な財政支援を得たという意味で国家目的を達成したと言うならば、極秘裏に核開発を実行することは十分に行う価値があるという「前例」になったかも知れない。(*7)

そしてイランなどを初めとする他の国が北朝鮮の採った行動を模倣するように動機づけられるかも知れない。そしてもし他の疑惑国が北朝鮮が行ったような行動に出た場合、米国が再びイニシアチブを発揮して、「合意」と同様の合意を他の疑惑国に対しても行う必要があるかどうかという問題が生起する。従って「合意」に見られる「前例」は不拡散体制を強化するのではなく、逆に弱体化しかねないということになる。

4. 結論

以上の双方の評価に見られたように、「合意」内容は両側面を持つものである。しかし北朝鮮が「合意」内容を順守すれば、批判的な見解に見られた幾つかの批判を払拭することができる。従って、「合意」に対する評価は、北朝鮮が今後「合意」内容を誠実に履行するかどうかいかんにかかると言える。「合意」が実際に履行されるかどうか、今後の進展の待つ必要があるだろう。


北朝鮮の核開発疑惑問題を巡る経過

1992年
北朝鮮のIAEAとの保障措置協定の締結(1月30日)
1993年
北朝鮮の未申告施設2カ所に対するIAEAによる特別査察の要求(2月9日)
北朝鮮のNPTからの脱退宣言(3月12日)
国連安保理事会決議825の採択(5月11日)
米朝高官協議第1ラウンド(6月2日-11日)
米朝高官協議第2ラウンド(7月14日-19日)
IAEAによる特定査察の実施(8月3日-10日)
1994年
IAEAによる査察要求(1月25日)
北朝鮮の通常査察の受入受諾(2月15日)
IAEAによる査察の実施(3月3日-14日)
IAEA理事会特別会合(3月21日)
国連安保理議長声明(3月31日)
北朝鮮によるIAEA査察官の立会を受諾する通告(4月20日)
北朝鮮による使用済み燃料棒の交換(5月12日-)
IAEAによる北朝鮮に対する技術援助を停止する内容の制裁決議の採択(6月10日)
北朝鮮のIAEAからの脱退声明(6月13日)
国連安保理事会における米国による対北朝鮮制裁案の提示(6月15日)
カーター・金日成会談(6月16、17日)
米朝高官協議第3ラウンド(7月8日-10月21日)と「基本的枠組み合意」の調印(10月21日)
1995年
「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」の設立総会(3月8日)
「米朝共同声明」によるKEDOに関する妥結(6月13日)

  1. 既述したとおり、湾岸戦争におけるイラクの敗戦後に国連安保理事会が採択した決議687に従い、イラクの核関連施設がIAEAによる核査察に応じさせられて、初めてその核開発計画の概要が明らかになった。このことはIAEAの加盟国の申告に従い定期的に実施されてきた従来の査察制度が必ずしも有効に機能してこなかったことを物語った。IAEAは湾岸戦争の勃発以前にイラクの核関連施設に対して通常査察を実施してきたが、イラクの核開発計画を探知することができなかった。従来の核査察が十分に機能してこなかったことに対する反省を踏まえ、1992年2月にIAEA理事会は、IAEAが対象国の未申告の疑惑施設に対するアクセスを行う特別査察を実施する権限を有することを確認した。「IAEAが核査察強化案を採択」、「世界週報」(1992.3.17)p.74.
  2. ジェームズ・グッドビー、シャノン・カイル、ハラルド・ミュラー、「核軍備管理」、「SIPRI年鑑 1995(下巻)」、ストックホルム国際平和研究所・編、黒澤満・監訳、メイナード出版株式会社(1996)p.300.
  3. 前掲書、「核軍備管理」p.302.
  4. 森本敏、「北朝鮮の核開発問題と不拡散」、「ポスト冷戦と核」、今井隆吉、田久保忠衛、平松茂雄編、勁草書房(1995)pp.170-171.
  5. 前掲書、「核軍備管理」p.302.ならびに前掲書、「北朝鮮の核開発問題と不拡散」p.175.
  6. 前掲書、「北朝鮮の核開発問題と不拡散」pp.175-176.
  7. 前掲書、「北朝鮮の核開発問題と不拡散」pp.176-177.

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