提言/報告書

[報告書目次]

アジア地域の安全保障と原子力平和利用

原子力と日本の安全保障政策

山内 康英  国際大学助教授

原子力と日本の安全保障政策については、これまで主として「非核三原則」および「核兵器廃絶の提唱」という二つの問題に焦点があてられてきた。「非核三原則」とは、日本が領土内に核兵器を配備する意思のないことを示した政府方針であり、「核兵器廃絶の提唱」とは、核兵器のない世界を追求する理念を指している。この両者は、今後とも日本の外交政策の指針として堅持されるであろう。しかしながら、冷戦後の今日、国際政治における核兵器の役割が大きく変化し、これが日本の外交課題にも影響している。すなわち、従来は潜在的な可能性にしか過ぎなかった、いくつかの原子力の問題──その中には核兵器の劇的な削減の可能性が含まれている──が、国際社会で顕在化しており、自国の利害という観点から、日本の外交政策として、原子力の持つ多面的な側面への、より積極的な関与が必要になっている、と考えられるのである。

本稿では、初めに、日本の原子力に関する外交政策のコンセプチュアルな構造を整理し、これとの関係で、日本が短期的・中期的に対応すべき二つの「新しい核の問題」として、(1)米・ロの核軍縮の進展にともなう戦略環境の変化と核軍縮にともなう核兵器の解体、および、(2)原子力安全および核不拡散の立場から国際社会の原子力利用、について検討する。また、この二つの課題に関連して、旧ソ連邦諸国を対象とした日本の現状の取り組みについて紹介したい。

1. 日本の原子力政策の概念的構図

四つの問題領域

日本の原子力に関する外交政策には、以下のような概念的・制度的な枠組みが存在する。まず、原子力は、商業利用および軍事利用という二つの顔を持っている。一方で、原子力が、軍事的に利用される場合、核兵器は、国際社会の大きな安全保障の情勢──たとえばイデオロギーの相違から生ずる同盟間の対立や、各国の安全保障政策と核ドクトリン、核軍縮や核軍備管理の動向といった枠組み──の中に位置づけられる。他方で、原子力の商業利用は、主として各国のエネルギー需給、石油価格、産業立地の諸条件、エネルギー利用技術の変化、各国が想定するエネルギー安全保障政策などから決まってくる。このように、原子力利用に関する主な変数は、軍事利用と商業利用とで異なっている。

この両者、すなわち原子力の商業利用と軍事利用との間に作られた政治的な障壁を、国際社会の核不拡散体制と呼ぶ。核不拡散体制は、核兵器保有国の核軍縮を義務づけている。国際社会の不拡散体制には、非核兵器地帯構想、二国間の原子力取り決め、各国の輸出管理制度などの国際組織の活動や地域組織の取り組みが関連している。また、原子力は、核兵器の製造や実験、原子力の軍事利用および商業利用から生ずる核廃棄物、その他の一次エネルギーとの併用において生ずる全地球的気候変動という点から、環境問題にも結びついている。

このように、原子力には1)核兵器体系、2)発電等の商業利用、3)不拡散体制、および4)環境問題という、別個の社会的コンテクストを持つ、少なくとも四つの相互に絡み合った問題領域が関連している(「図1」)。

図1

図1

その国が核兵器保有国か、非核兵器保有国かによって、核不拡散体制の持つ政治的・経済的機能は大きく異なっている。非核兵器保有国に比べて核兵器保有国は、原子力の軍事利用と商業利用を区別する必然性が、より少ない。例えば、核兵器保有国では、原子力技術の開発、核物質の生産、発電所等の原子力施設の建設などの点で、軍事利用と商業利用に密接な関係がある。これとは対照的に、非核兵器保有国にとって、商業利用と(潜在的な)軍事利用の区別は厳密になされなければならない。この両者間の境界線が遵守されていることを保証するために、国際原子力機関の保障措置が、核不拡散条約に加盟する非核兵器保有国のすべての商業用原子力施設に課せられている。保障措置とは、核分裂性物質の利用の各段階で、その質量を追跡する計量管理制度や、IAEAの係官がオンサイトで利用法を視認する査察によって、原子力施設運用の際に核物質が軍事目的に転用されないよう継続的に監視する施策である。

2. 冷戦後の核兵器抑止構造の変化と日本

世界の核抑止構造の変化

1997年6月のデンバー・サミットで、エリツイン大統領は、日本に対するロシアの戦略核ミサイルの照準を解除する決定を明らかにした(*1)。このことは冷戦時代の大きなイデオロギー対立の中では、非核兵器保有国であっても世界的な核抑止の構造の外にあったわけではないことを意味している。同時に、ロシア政府による照準解除は、戦略兵器削減条約の進展にともなって、世界的な核抑止構造が実質的に変化している、ということを示している。これは、自国の安全保障上の利益を拡大するための日本の外交上の契機となる。また同時に、日本は米国の拡大抑止(「核の傘」)の信頼性(credibility)をどのようして維持するのか、という問題が生ずる。したがって今後、日本は、政策的に、米・ロの核軍縮の進展にともなう戦略環境の変化にどのように対応し、また核軍縮にともなう核兵器の解体と、そこから生ずる余剰核物質の管理について、どのように国際社会の枠組みに協力するのかを考慮する必要がある。「図2」は、「図1」を利用して、日本のような非核兵器保有国の政策決定者が念頭におくコンセプチュアルな構造を、冷戦後の国際社会の変化に適用した場合、どのような政策課題やプログラムが発生するのかを示したものである。

図2

図2

国際社会における原子力利用

チェルノブイリ原子力発電所の事故以降、原子力の安全は、一国の問題ではなくなっている。その理由として、原子力発電所の事故が、地域住民に深甚な被害を与えること、典型的な越境性環境汚染であること、原子力の安全性についての懸念は、自国の原子力のパブリック・アクセプタンスに大きな影響を及ぼすこと、の3点が挙げられる。旧ソ連・東欧圏の社会体制の混乱にともなって、一部で原子力施設の維持管理が困難になっており、できるだけ早い機会に、旧ソ連製原子炉の安全性を、少なくとも西側の基準にまで高めることが望ましい、という点について専門家の合意がある。同時に、軍の管理下を外れた兵器用核物質がブラック・マーケットに流れたり、核兵器技術者が核兵器拡散懸念国に雇用される危険を可能な限り防ぐ必要がある。他方、アジア・太平洋諸国は、急増するエネルギー需要に対処するために大規模な原子力発電所の建設を計画している。既述のように、日本の原子力に関する外交政策は、今後、原子力安全および核不拡散の立場を加味する必要がある。この二つの課題は、既存の日本の原子力政策と部分的には関連しているものの、基本的には社会主義圏の解体や、アジア太平洋諸国の急速な産業化から生じた新しい課題である。

3. 核兵器と核軍縮

現在の状況

冷戦の終結以降、核兵器の役割は大きく変化している。他方、核兵器の削減は、軍備管理・軍縮交渉の進展と表裏にあり、核軍縮交渉は、米・ロおよび他の核兵器保有国の核ドクトリンと不可分の関係にある。CTBT(包括的核実験禁止条約)が遵守されれば、新型核兵器の開発は以前より困難になるであろう。しかしながらこれは、核抑止ドクトリンが放棄されたということを意味するものではない。例えば、1997年7月2日、米国は保有核弾頭の性能を維持する目的で、1回目の「未臨界」核実験を行った。また、START-II条約を越える核兵器削減のシナリオも、現実のものとなっていない。

核の傘

核兵器の役割が不明確になるにつれて、核保有国が、その同盟国に提供する拡大抑止の信頼性の問題が生ずる。他方、上記のように国際社会で核抑止ドクトリンが完全には棄却されていないこと、また冷戦後、核拡散から生ずる不透明性が増していることを考えれば、同盟国の戦略核に安全保障政策の一環を依存する日本にとって、拡大抑止の信頼性の問題は依然として重要である。

核の傘の信頼性は、次の3点によって担保されると考えられる。第一に、拡大抑止を提供する核兵器国と、核兵器の傘の下にある非核兵器国の双方の政府によって、政治的なコミットメントの表明されることが望ましい。第二に、拡大抑止を提供する国の軍隊が、非核兵器保有国の領土内に駐留し、核兵器国の安全保障と非核兵器保有国に対する核攻撃が連繁しているならば、同盟国間の拡大抑止の信頼性は高まるであろう。この場合、駐留軍とその軍属は、「トラップ・ワイヤー」の働きをしている、などと言われる。第三に、同盟国である核兵器保有国の戦略核体系の中で、非核兵器保有国に対する拡大抑止の実効的な手段となる戦略核兵器が指定される必要がある。

既述のように、ロシアは戦略核兵器の照準解除を発表したが、依然として中国および潜在的に北朝鮮が、日本に対する(あるいは在日米軍基地に対する)核攻撃の能力を持つ近隣国として存在している。上記の3点のうち、現状では、拡大抑止についての日米の連携は、かなりの程度、明確になされている。たとえば、1996年4月の日米首脳会談を受けて作業を行った「日米防衛協力のための指針」見直しのための中間とりまとめ(1997年6月公表)は、平素から行う協力として拡大抑止の維持について言明している(*2)

「核の傘」の重要性を協調することの問題点は、これが実質的な核軍縮にブレーキをかける恐れがあるということである(*3)。この問題に対する日本の立場は両義的である。たとえば1995年11月に策定された『防衛計画の大綱』の中で、日本政府は「核兵器の脅威に対しては、核兵器のない世界を目指した現実的かつ着実な核軍縮の国際的努力の中で積極的な役割を果たしつつ、米国の核抑止力に依存するものとする」と述べている。この複雑な問題に答える一つの方策は、核軍縮はダイナミックなプロセスであり、核軍縮と拡大抑止の維持は相互に排他的ではないとの立場を明確にすることである。このためには、日米の外交当局間の密接な協力が前提となるであろう。

極東の核兵器の現状

冷戦時代に拡充されたロシア太平洋艦隊は、現在、財政的理由から現有勢力の維持が困難になっており、ウラジオストックからアムール河河口に至る水上艦艇・戦略原潜基地、海軍の補給・造船設備の機能は低下している。この状況は北方艦隊の基地であるコラ半島周辺(ムルマンスクからアルハンゲリスクに至る地域)の状況とパラレルである。しかしながら、依然としてロシア太平洋艦隊は、限定された数の戦略原潜と攻撃型原潜の運用(デルタIII、アクラ改およびオスカー級)を維持している。これは、旧ソ連時代に拡充した極東における海洋核戦力を、核抑止力の一環として維持しようとするロシアの軍事戦略の現れである。

旧ソ連邦が、極東に大規模な戦略核と通常戦力の複合体を構築した理由は、以下の通りである。1970年代後半から1980年代半ばにかけて、米国と旧ソ連邦の核戦略の角遂が、この地域でも生じた。旧ソ連邦の海軍戦略は、1970年代半ばから西側がいうところの「海洋要塞戦略(Bastion Strategy)に傾斜し始めた(*4)。「海洋要塞戦略」は、戦略核の三本柱(ICBM、戦略爆撃機、SLBM)の中で、第二撃力の中核をなすSSBNを旧ソ連邦の近海に配備し、これを水上艦艇、攻撃型原潜、陸上基地航空力で防御しようとするものだった。旧ソ連邦の海洋要塞は、地勢的に防御する適する二つの地域、すなわちバレンツ海(*5)とオホーツク海に構築された。

レーガン政権時にとられた米国の「海洋戦略(the Maritime Strategy)」は、攻撃型原潜と、場合によっては空母機動部隊と両用部隊を「ハイ・スレット・エリア」、特に極東地域のソ連基地航空部隊の作戦圏内にまで展開させることによって、ソ連側を追いつめる意図を持っていた(*6)。この結果、日本列島と千島列島を境界として、東・西の戦略が拮抗することになった。これは、北海道がソ連極東部の内部防衛圏に突出しているという事実のみならず、宗谷海峡の通峡の確保がソ連の海洋要塞戦略の長期的な維持に不可欠だという地政学的な理由から生じたものだった(*7)

日本の北方水域に配備されたソ連の戦略弾道ミサイル潜水艦が、米国本土に照準を定めていた事実と、同時に日本が日米安全保障条約によって米国の核の傘の下にあったという事実は、日本の安全保障に次のような意味を持っていた。すなわち、日本は、通常兵力から潜水艦発射弾道ミサイルまで続く、長く複合的なソ連の抑止戦略構造の中で、最後の担保手段である戦略弾道ミサイル潜水艦の活動を扼する地政学的位置にあった。そしてグローバルな抑止構造の中での日本の防衛力の役割は、この位置によって決定されていたのである。日本が西側同盟の一員として抑止構造の一翼を担うということは、ソ連のこの地域における潜在的な攻撃のシナリオを阻止し、その攻撃の意思を断念させるということであった。

START-I条約は、近代化された核の抑止体制によって東西関係を暫定的に安定化させようとする、軍備管理のレジームであったと考えることができる。しかしながら、旧ソ連邦の崩壊によって、ロシアは、START-I体制を利用した戦略核体制の維持に失敗した。

今後、北東アジアにおいて東西冷戦下に組み上げられた戦略環境を安全に清算し、さらなる核軍縮を進めるためには、着実な段階的交渉が不可欠である。既述のような戦略環境の歴史的な推移から見て、北東アジアの軍備管理は、START条約のようなグローバルなレベルでの戦略核の管理と不可分である。出発点として重要なのは、戦略核システムから派生した問題は、戦略核システムから解決する以外ないという認識である(*8)。海洋戦略核は、ロシアの安全保障政策全体に関係しており、この問題に対応するためには、多面的なアプローチ──たとえば北方四島の非武装地帯化等によるロシア極東部の安全保障の相互確認、ロシア極東部に対する投資や貿易上の援助など──が必要である。

START-II条約と極東アジア

1993年1月に締結されたSTART-II条約は、西暦2000年から2003年までの間に米・ロの核弾頭を各々3000個に削減するという画期的なものである。既述の分析から明らかなように、北東アジアの戦略環境にとって決定的な重要性を持つのは、潜水艦発射弾道ミサイルの弾頭の個数が、START-III交渉によってどのように変化するのか、またロシアが、これをバレンツ海とオホーツク海にどのように割り振るのか等である。一部の報道によると、ロシアの戦略核が今後、移動式のICBMに依拠するのか、または依然として海洋核を維持するのかに関して、ロシア軍内部に核ドクトリンをめぐる論争がある。結論は未だ不明確であるが、このような米・ロの交渉は、今後、日本が北東アジアの軍備管理に参加する機会を与えるものだと考えられる。

4. CIS諸国と日本における原子力安全と不拡散

国際的イニシアティヴ

デンバー・サミットにおけるコミュニケの中で、参加国(G7+ロシア)は、冷戦後の核解体と原子力安全について積極的な関与を明らかにした。G8サミットのコミュニケの中のこれに関係する部分は以下のようなものであるが、これは、先進国サミットのような多国間交渉の場を通じて、参加国が継続的にこの問題に取り組んでおり、その結果として、かなりの程度、具体的なプログラム作成の段階に至っていることを示している。

73. 我々は、「モスクワ原子力安全サミット」以来、そのサミットで作成した「核物質密輸防止プログラム」の実施に向けて重要な措置をとった。我々は、中・東欧、中央アジア及びコーカサスの諸国の参加を得るため、このプログラムへの参加拡大を促進する。

74. 更に、核分裂物質の安全かつ効果的な管理に関しては、防衛目的にとり不要とされた核分裂物質に関する具体的なイニシアティブ、特にフランス、ドイツ及びロシアによる兵器用プルトニウムからMOX(混合酸化物)燃料を生産するパイロット・プラントをロシアに建設する計画(この計画は他国の参加にも開かれる)、及び兵器用プルトニウムの転換に関する米国とロシアの協力を通じて、我々は引き続き協調を促進していく。

日本の核兵器解体支援

G7諸国とロシアの協力関係の進展は、米国が1993年から開始した「協調的脅威削減プログラム(Mutual Threat Reduction Program: MTR)」に依るところが大きい。日本政府は、同プログラムとの関連で、以下のようなプログラムを実施した。

日本は、各国と共同して、START条約の履行に伴って解体核弾頭から回収されるプルトニウムと高濃縮ウランを貯蔵する施設の建設について、資金的支援を行っている。貯蔵施設としてマヤクが選定されているが、建設計画は遅延している。また日本は、米国のプログラムと協調して、核兵器運搬時の防護器具等購入のための資金を提供した。この他に、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の液体燃料処理施設建設の支援が、協議の対象として挙がっている。ロシア側は、有毒な液体燃料の処理技術を保有しているが、施設建設地等の具体的な協議は進んでいない。

原子力施設の安全運転

旧ソ連域内諸国にある原子力発電所のうち、チェルノブイリ型(RBMK)15基と旧式のソ連型加圧水型炉(VVER440/230)4基の19基が構造的に危険である。これらの原子炉については、安全装置や炉心の遮蔽の改修を行いながら、早い時期に閉鎖することが望ましいが、そのために今後10年間に必要な費用は、200億ドルから300億ドルと推計されている(*9)

1996年のモスクワ原子力安全サミットで、チェルノブイリ原子力発電所の一部を代替する天然ガス発電所の建設について、西側の支援策が確定し、同年11月、チェルノブイリの1号炉は運転を停止した(*10)。しかしながらロシア、ウクライナおよびリトアニアでは、原子力発電所が地域経済に重要性な役割を担い、電力供給においても高い比重を占めている。これに加えて、代替する発電所建設の見通しが立たないことなどから、原子炉の改修と閉鎖の計画は進んでいない。原子力安全の向上については、チェルノブイリの事故の後、WANO(World Association of Nuclear Operators)が中心となり、原子力施設の運用に関する技術や経験について、相互の交流を促進している。欧州は、このために欧州開発銀行(EDRB)に基金を創設した。この基金に対して日本は、1993年に1200万ドルを出資している。

通産省は、原子力発電所訓練センターをノボボロネジ原子力発電所に建設することについてロシア原子力省と合意した。通産省は、毎年、セミナーや職場内訓練を行っており、これに旧ソ連圏や東ヨーロッパ諸国から、毎年約100名の原子力発電所運転要員を招致している。このプロジェクトは、1993年に開始され、10年間にわたって継続される予定である。また、科学技術庁は1993年から、音響事故探知システムをレニングラード原子力発電所に導入する3年計画を実施した。

不拡散

ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの非核化と核解体と関連する核不拡散の課題は二つに分かれる。第一点は、旧ソ連邦の解体後、非核兵器国として核不拡散条約に加盟した諸国が、その原子力施設を保障措置の下に置き、国際機関の査察を受ける体制を円滑に作り出すことである。第二点は、核兵器技術者が国外に出て、秘密裏に核兵器開発を行う国々に雇用される危険を防ぐことである。

非核化・核解体支援を実行に移すために、日本政府は、ロシア、カザフスタン、ベラルーシ、ウクライナとの間に二国間委員会を設置した。1993年4月、日本政府はこの分野に1億ドル(当時の為替レートで117億円)の出資を約束している。また、これとは別にモスクワの国際科学技術センターの基金として2000万円の出資を公約した。

日本は1993年から、IAEAの査察を補完する国家計量管理制度(SSAC: State System of Accountancy and Control)の導入を支援するために、カザフスタン、ベラルーシ、ウクライナとの間で会合を開いている。具体的なプログラムとしては、動力炉・核燃料開発事業団は、カザフスタンのアクタウ原子力発電所に計量管理システムのための機材を提供している(*11)。また、日本原子力研究所からは、記録・通報システムを含む設備がベラルーシの研究機関に提供された。

環境問題

核兵器の製造工程、核実験、核物質の廃棄から、核兵器保有国には広範囲な環境汚染が生じている。旧ソ連およびロシアでは、1950年代より白海、バレンツ海からオホーツク海に至る北極圏で核廃棄物の海洋投棄等が行われている。ウラル地方やカザフスタンの内陸部核施設や実験場でも、環境汚染が深刻な問題になっている。

日本政府のロシアへの資金援助を促進した別の要因として、ロシア海軍による日本海への放射性廃棄物投棄があった。1993年2月に公表された『ヤブロコフ報告書』(*12)によれば、旧ソ連およびロシア海軍は、1960年半ばから日本海とオホーツク海に大規模な核廃棄物の海洋投棄を行っており、ロシア太平洋艦隊による日本海への放射性廃棄物投棄は、1992年だけで6回を数える。また1985年8月には、極東のソ連太平洋艦隊の基地で原子力潜水艦の燃料交換の際に誤操作があり、爆発事故のあったことが報告されている。

1994年になって日本とロシアは、液体放射性廃棄物の処理プラントを導入すること、および日本側がこのために25億円の資金援助をすることについて合意した。液体放射性廃棄物の処理プラントはピョートル大帝湾東岸にあるボリショイ・カメンの海軍造船施設内に設置されることになっている。

ロシアは、加圧水型の発電炉と原子力艦船の使用済み燃料を、あわせて再処理し、ウランおよびプルトニウムを回収・再利用する方針を採っている。この再処理と貯蔵を行うのは、ウラル南部に位置するチャリャビンスク65のマヤク生産複合体である。コラ半島および極東の原子力艦船から回収された使用済み燃料は、鉄道によって輸送されるが、その際に使用するコンテナの不備、および鉄道輸送能力の未整備が指摘されている。当面は次善の策として、原子力艦船の使用済み燃料や解体原潜から出る固体廃棄物のための貯蔵施設を、地域毎に建設する必要がある。

5. 今後の案件と問題点

日本側体制の強化

非核兵器保有国としての制約から、日本政府が行う非核化支援活動は、その範囲が限定されている。核兵器の解体に直接携わるような案件については、日本政府は意図的に関与を避けている。当面、日本が能力を発揮し得る領域は、(1)SSACの導入や原子力発電所運用の際の安全性向上、および(2)環境保全や核廃物処理であろう。

日本政府の非核化支援については、取り組むべき課題の大きさに比して、人的・財政的資源が不十分だという問題がある。現状では、各省庁で問題を担当するスタッフが、属人的なネットワークを通じて作業を進めている。

ロシアの非核化支援については、次のような批判がある。第一に、対処すべき問題の大きさから考えれば、国際的な取り組みの実質的な効果は限られている。たとえば、原潜の二次冷却水から生ずる低レベル放射性廃棄物の海洋投棄から生ずる危険は、限定的なものであり、資金支援を行う実際的な価値は必ずしも高くない。第二に、放射性廃棄物処理施設の提供は、ロシア軍の核兵器システムの運用を高める可能性がある。

他方、戦略核兵器削減条約の履行によってもたらされる政治的・戦略的利益は大きい。エリツィン政権は、原子力の安全利用や核兵器解体についての西側の支援を、西側との連携を維持する方策の一環として考えている。包括的核実験禁止条約の履行や、START-IIを越える核兵器削減の取り組みといった案件を考えれば、日本がロシアおよびG7諸国との連携を維持することは重要である。ロシアの非核化支援は、冷戦時代には想像できなかった人的および情報のネットワークを提供している。これをより強化することが、核兵器削減に進むモメンタムを、より一層、非可逆的なものにするために重要である。START条約にともなう米国とCIS諸国の非核化は、冷戦終結にともなって初めて具体化した実効的な核軍縮の契機であり、この「機会の窓」を最大限に利用することが、関係するすべての国々に確実な利益を与えるであろう。

  1. 6月26日、ロシア大統領報道官は『ロシアが日本に向けた核ミサイルの照準を完全に解除した』と発表した。『日本経済新聞』(朝刊)1997年6月27日
  2. この部分の文章は以下の通りである。『(1) 基本的な防衛態勢:日米両国は、日米安全保障体制を堅持する。日本は、「防衛計画の大綱」に則り、自衛のために必要な範囲内で防衛力を保持する。米国は、そのコミットメントを達成するため、核抑止力を保持するとともに、アジア太平洋地域における前方展開兵力を維持ち、かつ、来援しうるその他の兵力を保持する。』
  3. この問題に対するユニークな解答として、すべての核兵器保有国が、所有する核兵器を部品に分解し、バーチャルな形で核抑止能力を維持するという提案がある。この場合、日本やドイツは、バーチャルな核兵器保有国となり、米国が拡大抑止を維持する必要はなくなるであろう。Mazur, Robert, "Vertual Arsenal," International Security, Autumn/Winter 1996
  4. David B. Rivkin, Jr. "No Bastions for the Bear," Proceeding April 1984, pp.36-43
  5. バレンツ海のソ連SLBMに対抗するために、米国はNATO諸国とりわけノルウェーとの戦略的連携を強めた。このためソ連のSLBMは、次第に北氷洋に展開するようになった。Carl G. Jacobsen, "Soviet Strategy: the naval dimention," The Uncertain Cource, New Weapons, Strategies and Mind-Sets, sipri, 1987, pp.187-197
  6. 岡崎久彦、西村茂樹、佐藤誠三郎著『日米同盟と日本の戦略』PHP 1991年.
  7. 自衛隊の防衛体制は、1980年代に入って顕著に強化された。海上自衛隊では対潜哨戒機(P-3C)の取得予定数が、1977年に決定された45機から1982年には75機に、さらに1985年には100機へと増加された。航空自衛隊においても迎撃戦闘機(F-15)の取得予定機数が、1977年の100機から1982年には155機に、1985年には187機へと増加された。この数は1990年には、さらに223機に増加された。陸上自衛隊の戦略は海峡地域の確保というソ連の企図を抑止するために、「内陸持久」から「水際・前方防衛」へと転換した。この結果、『オホーツク海の全面と側面からは米太平洋艦隊と三沢の在日米空軍が打撃し、後方では陸上自衛隊が海空自衛隊の共同を得てオホーツク海とウラジオストックを結ぶ極東旧ソ連邦のSLOCを、宗谷と津軽の両海峡で後方遮断する』という態勢が整い始めた。この北方前方戦略は、米海軍の「海洋戦略」と重畳することによって「海洋要塞戦略」、すなわち極東における旧ソ連軍の軍事戦略の発動を抑止することを企図するものだった。(岡崎、前掲書)
  8. Menon, Rajan, "Japan-Russia Relations and North-east Asian Security," Survival, vol.38, no.2, Summer 1996, pp.72-73 山内康英「非核三原則と専守防衛」GLOCOM Working Paper Series, No.19, April 1993
  9. Nuclear Energy Institute, Source Book, 1996, CSIS Congressional Study Group and Task Force, Nuclear Energy Safety Challanges in the Former Soviet Union, CSIS, 1995. なお、1993年5月に東京で開かれた旧ソ連、東欧の原子力安全支援に関する先進7ヶ国の作業部会の試算によれば、旧ソ連および東欧諸国の原子炉25基の回収・運転停止にかかる費用は、2000年までに約180~240億ドルとなっている。
  10. 1986年4月に爆撃事故を起こした4号炉のほか、2号炉は1991年に火災を起こして運転を停止している。今回の1号炉の停止によって、稼働するのは3号炉だけになった。
  11. BN-350は、動燃が運営する高速増殖炉と同型である。なお、BN-350は、淡水化のための脱塩装置と組み合わせて運用されており、発電用との合計の出力は50MWである。
  12. アレクセイ・ヤブロコフ『ロシア連邦周辺の海洋への放射性廃棄物投棄に関する事実と問題』

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